「駿府訪拝記・その3」
<平成16年3月参拝>
その1.静岡浅間神社(大歳御祖神社/神部神社/浅間神社)
その2.久能山東照宮
その3.静岡護國神社/御穂神社
日本平から静岡駅にむかうバスの車中。バス車内で考える。途中の東静岡駅で降りたほうが断然に効率が良いことを。意外と時間がかかり、おまけに途中の女子大で大量の新入女子大生をつめこんだ車内は、結構な賑々しさ。さしあたり途中経由の「東静岡駅前バス停」で下車して、歩き出す。
地図をみれば、ここから500メートルほどあるけば「静岡護國神社」がある。べつに格別な用事はないけれども、途中にあるわけだから立ち寄ろうと思う。
気が付けば時間は15時15分。もうそろそろ帰り時間の配分が心配なころあいでもある。
「静岡県護国神社」(内務大臣指定護國神社)
<静岡県静岡市柚木鎮座>
主祭神:静岡出身及び縁故の英霊76000余柱
由緒
明治32年(1899)11月に官祭の招魂社として静岡市内北番町に創立。昭和14年内務大臣指定の静岡県護國神社と改称し、昭和17年10月に現在地に遷座。
敗戦後の占領期には静霊神社と称したが、独立後に旧称に復した。
予想以上の規模の大きさに驚きつつ、護國神社に足を踏み入れる。境内は公園が整備されており、さらには県神社庁が在している。意外に多い人びとはサクラ鑑賞のようであり、神社拝殿付近は人が少ない。参道は鬱蒼としているが、社殿前は芝生に彩られ開放感にあふれている。それでいて社地後方には山を背負っており、神社構成的にも申し分の無い気配。
護国の御霊に拝し、サクラをながめて、空をみあげる。
さて、次はどうしよう。
時間は15時30分過ぎ。さしあたり静岡鉄道「柚木」駅から一気に「新清水駅」を目指す。もう完全なる夕方。そろそろ家路につくべきなのだろうが、一ヶ所だけ行きた居場所がある。
さしあたりバス停で時間を確認し、覚悟を決めて「三保」にむかう。かなりの披疲労をかかえ、さらにはうつらうつらするが、しっかりと地図で把握しつつ清水の町をバスに乗る。
三保松原最寄りのバス停で下車し、400メートルほど歩むと「御穂神社」がみえてくる。
到着が16時35分。もう日差しが淡い赤さをおびていた。
久能山東照宮から車なら道路一本6キロの道のりを、ロープウェーとバスと電車とバスを乗り継いで、隨分と遠回りしたものであった。
「御穂神社」(県社・式内社・駿河国三の宮)
<静岡県静岡市清水三保鎮座・朱印>
主祭神:
大己貴命(おおあなむち命)、一説に三穂津彦命ともいう
三穂津姫命
由緒
大国主神が国を譲られ、高皇産霊尊の娘である三穂津姫命を大后とされ、二柱で羽車に乗って三保の浦に降臨され、三保の森に鎮座されたという。また当社は出雲国御穂埼より遷座した神ともされる。当社を「駿河国三の宮」とする説もある。
醍醐天皇の延喜式では式内社列格。
現在の社殿は寛文8年(1668)の落雷のあとに仮宮として建てられたもので、本殿は江戸中期の建築という。
御穂神社正面の松参道(約500メートル)先の海岸には「羽衣の松」、「三保松原」がある。
正面鳥居 |
脇鳥居 |
拝殿 |
扁額(行書と楷書が混じる記載は珍しい) |
本殿 |
本殿 |
舞殿 |
正面参道は松の参道 |
境内の桜、手前の緑の花弁が「鬱金の桜」 |
「鬱金(うこん)の桜」 |
羽衣の松(樹齡約650年、現在の松は二代目) |
羽衣の松 |
御穂神社に到着したのが16時35分。もう完全に夕方の気配であり、神社境内は人の気配もまばら。ここまで来れば、私も急ぐ用事はない。のんびりゆっくりと境内を散策し、社務所で朱印を頂こうとする。
社務所の人は「申し訳ないですけど、朱印帳ではお受けしていないんですよ。半紙に書いてあるものでしたら用意出来ますが」、とのこと。なんでも「羽衣の松」と一体となった観光地ゆえに大型バスで一斉に訪れる観光客を、神社として所帯の小さな「御穂神社」は処理しきれないために、おことわりしているのだとか。
「半紙に書いてある朱印でも構いませんよ」と返答し、しばし待つ。待っている間にお話を受ける。「拝殿の扁額の『御穂神社』の文字は行書と楷書が混じっている珍しいものなのです。ぜひ、御覧になってみては?」と。御言葉通りに、拝殿扁額をうかがうと、確かにしっかりとした「御」の字と、くずした「穂」の字が目に入る。こうゆうちょっとした視点はなかなか気が付かないもので、なんか得をした気分。
朱印を頂戴したあとに境内をゆっくりとさらなる散策をしていると、さきほどのお人が私のところまでおこしになられて「ウコンの桜、ご存じですか?」とさらなる話をおうけする。
私の単純な頭では「右近の桜」と変換されたが、案内をされたところには「鬱金の桜」とある。そこには一風変わった「黄色」とも「緑色」とも「金色」とも称してもよい「桜の花弁」が風に搖れていた。
珍しいものをさらにみせてくれたことに、益々の感謝をこめて御礼を申し上げる。それにしても「鬱な金」で「うこん」と詠ませる「桜」に巧みさを感じるとともに、その気配に魅了され私はしばし眺める長閑な人となる。
御穂神社の正面参道をあゆむ。500メートルほど続く参道は両脇を松の木々が連なっており、まさに「三保の松原」の「御穂神社」たる風格に溢れていた。
さきほどの神社のお人がいっていた「休みの日の大勢の観光客」とやらも、その気配を感じることはなかった。すれ違う人も少ない参道を真っ直ぐに歩むと、砂浜に到着しいわゆる「三保の松原」を、この目に捉える。
夕方の寂しさにあふれる空間のなかで、静かに「羽衣の松」をながめる。波寄せる砂浜と太平洋。青い海とぼんやりと白い空。砂浜に佇むカップルは絵になるのだろうけど、私はこういう情景はしょうにあわない。
むやみやたらと心の寂しさと、はかなさを秘めて、「羽衣の松」の木を一周したら、家路に着こうかと思う。
もう17時をすぎている。これから4時間ほどの時間を「鉄道」に費やさないと、私は家にたどり着けないのだ。
あいかわらずの疲労を蓄積させて、充実の一日を思いおこしながら。
参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・22静岡県
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