「靖國神社を想ふ・8月の日常(新遊就館)編」
目次
「遊就館を巡る」
「靖國の風景」
「遊就館を巡る」
8月上旬。なんとなく「遊就館」を改めてきちんと見物したかつた。
平成14年7月13日に遊就館がリニューアルオープン。この様子は簡潔ながら小生の「靖國神社を想ふ・第56回みたままつり編」に記した。その際に残した課題の幾つかを改めて半月後の8月上旬の模様を交えて記してみたいと思ふ。
遊就館新入りである零戦(零式艦上戦闘機)の出自が不明であつた。それを調べやうと私は気追ひこんで「遊就館」に駆け込む。
実際は拝殿参拝後に暑さに負けて「靖國会館」(重度な靖國参拝者が訪れる隠れた休憩室/笑)で冷たい麦茶を喉に流し込んで落ち着いた後で「遊就館」に向かつたのだが。
最初は確かになかつたはずの「零戦解説版」がある。私は7月13日の時点でこの「解説版」を見てゐない。日頃からこの手のものを見逃してゐる訳がない(看板を探しながら歩いてゐる/笑)ので、確かに「これはなかつた」といふ自信はある。しかし7月13日のあの騒ぎの中である。「もしかしたら・・・」とも思ふが気にはせず、きつと新設だらうとうなづきつつ出自を明らかにしたいと思ふ。もつとも「解説版」の引用だが。
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写真三点
上二点:零式艦上戦闘機52型
左:泰緬鉄道を走つてゐたC56型31号機関車他
初日の喧騒がうそのやうだ(笑)
(どこから撮影禁止かはわからないが、
この場所はよいのだらう。
何も言はれなかつたし。)
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「零式艦上戦闘機五二型」(三菱4240−1号機)
この遊就館に展示してある零戦は昭和49年(1974)にラバウルに置かれてゐた旧日本海軍ラバウル航空基地で見つかつた主翼胴体と昭和59年(1984)にミクロネシアのヤップ島で発見された五機の零戦を日本に持ち帰り、ラバウルの機体で昭和55年(1980)に復元作業が開始されたことから始まる。
この零戦(胴体)は、もともと昭和18年11月25日頃に三菱重工名古屋大江工場で制作されたもの。南洋ラバウルに長年放置されてゐたため機体の殆どは朽ち果て、復元は不可能と考へられてゐた。そこで機体を完全に分解し使へる部品を整理。主要機体はこのラバウルの4240−1の主翼胴体の使用可能部品とその他の部品(ヤップ島の零戦部品? この部分詳説なし)を使用。
4240号機は、4241号機の機体番号部品も多く使用されてをり、当時の工場の混乱ぶりもわかるといふ。
これで私もすつきりした。つまりこの零戦は「ラバウル」系の復元零戦といふこと。それだけわかれば、とりあへずは満足。
エスカレーターを昇つて「遊就館」に入ろうかと思ふ。例の如く、改札ゲートを通る。
本来なら映像ホールが一番最初である。しかし、私はここで映像を見たことがない。今日もあいかわらず閉鎖中。さしあたつて、この場所で映像〜映画「凛として愛」泉水隆一監督・約60分(この作品が放送予定らしい)〜が見られる日を楽しみにしつつ次に進む。
最初の展示コーナーは「武人の心」「日本の武の歴史」。よく神社の宝物館にあるやうな「奉納された武具」と同じ感覚で「刀剣」(刀剣は見応へ有)や「鎧兜」(模造複製多し。史学科の視点としては・・・)がある。ただ個人的に特筆するものとして「六連装火縄銃」があるのがうれしい。この手の異色火縄銃が好きだつたりする。
靖國らしいものとしては「元帥刀」。これは歴代の 天皇陛下が陸海軍の元帥に下賜なされたもので、もともとは平安期の「衛府の太刀」を模したものといふ。
年代を追つて展示ブースが作られてゐる。これまでは控へめであつた「幕末」「戊辰戦争」などにも力が注がれてゐる。この日は各ブースとも多くて10名程度(ほぼ5人)の見学者がゐる程度で、各展示物をゆつくりと見て回れた。このぐらいでないと、中に入る価値がないだらう。
でも、いちいち文字などを追ふほどには気が進まない。知つてゐることも多く、常識な事ばかりを改めて「読む」やうでは、私としても史学科卒の意味がない。
遊就館は世間的には「軍事博物館」といふ印象を持たれてゐるらしい。ただ、その面はごく一部。ほとんどの展示物は「歴史的なもの」であり、特に「幕末・明治」期のブースは「日本近代化の足跡」を知る上で、有意義な展示がなされてゐる。
「近代国家の形成」「靖國神社の創建」「西南戦争」「日清戦争」「日露戦争」とブースは続く。面白かつたのが「日露戦争パノラマブース」。映像と音響で「日露戦争」の一連の流れを語つてくれるもの。なんとなく面白すぎた。あの203高地は5秒で陥落するあたりが苦笑もの。それでゐて「大河ドラマ」を感じるスケールの大きさ。安つぽい演出に苦笑ものだけど日本海海戦では思はず武者震いが起きるのは私が海軍専攻だからかな。感想をいふなれば「・・・日本勝つたよ(笑)」といふ感じ。見ればわかります。
続いて「招魂式」のブース。この空間だけは靖國らしいともいへるが、逆にあまりにも「靖國」らしく、まはりからは浮き出てゐる空間。ただ、この空間はなかなか居心地がよかつたりする。
この先は「満洲事変」「支那事変」「大東亜戦争」と続くおなじみのブース。このあたりから急に人の密度も増え始めた。それでも1ブース10名前後だが。
おもしろいのが「映像コーナー」。私が見たときは、途中で状況がわからなかつたが、支那事変らしいなあと思つてゐると「長谷川第三艦隊長官」といふのが聞こえ、支那事変初期だと確定。陸軍のことはわからないが、海軍が出てくれば大方はわかる。で、映像を見るとわが皇軍は大進撃。これでどうして支那に勝てないのかわからないぐらゐな圧倒的な「大陸軍」。それといふのも当時の「ニュース映画」らしい。そういふ意味ではいろいろな見方ができるので当時の映像といふのはおもしろい。
幾つか気になつたこと。展示品にかなりの数で「解説なし」のものがある。もつとも私なんかは見れば何であるかわかるが、遊就館の客=近代史専門家ではない。普通の人ではわからないやうな品が説明もなく、無造作に置いてあつても困るだらう。たとへば誰のかわからない軍服や書などが多い。有名な「阿南惟幾陸軍大将血染めの遺書」もそこにあるだけで「これは誰の遺書だ」とは書いてゐない。これでは知らない人は「わからない」だらう。もつとも、展示品の解説版は更新作業中なのかもしれないし現時点では判断できないが。
旧「遊就館」で見た記憶があるものが「ない」。確かに記憶にあるのに展示品がない。これは「博物館」らしく展示品の入れ替へでもする布石なのだらうか。例へば「元帥 山本五十六海軍大将」は旧遊就館では多くのスペースが割かれてゐたが、見る限りでは知らないうち(山本五十六戦死な場面がほとんど書いてゐない)に「戦死」なされてゐる。
全体の傾向として「有名な個人優先の展示」よりも「バランス良く総合的な展示」な雰囲気がするので、山本五十六等を減らしたやうではあるが。なんとなく長岡の「山本五十六記念館」に遺品が永久貸出されてゐるのかと疑ひたくなる。(もつとも長岡「山本五十六記念館」でも見なかつたが。この話は「大蒲原平野を想う」にて・・・)
展示スペースがあまつてゐる所と一杯一杯に詰まつてゐる所。バランスが悪いともいへるが、まだ開館半月である。とやかくいふことではない。
大展示室に入る前に、靖國らしいブースがある。「靖國の神々」のブース。一見して「この光景はどこかで見たことがあるな」。思へば「鹿児島・鹿屋基地資料館」や「知覧特攻平和会館」(どちらも行つた事はないが。)でよくみる「写真パネル」。あれの靖國版として神々が「パネル」になつてゐる。その数はおよそ3000パネル(推測であつて数へた訳ではない)。英霊の数からいへば一握りではあれど、「靖國の神々」を意識するのは充分すぎる。
私は「靖國の神」として総括してしまふ傾向がある。「個々」を見るのではなく「全体」を見てしまふ。かうして「個々」を見せられてしまふと、神社は神社の枠を越え生生しいものになつてしまふ。私は、そんな「リアルさ」から逃げてゐるのかもしれない。個々の祭神の展示ブースも私は「歴史」を見てゐるのであつて「英霊の生き様」を見てゐるのでないやうな気がする。こんなところが「史学の弊害」かもしれない。・・・若干の反省をする。
靖國を彩る「花嫁人形」。これがかなりこたへた。あまりにもあざやかで美しすぎる「花嫁」たちは、この血なまぐさい空間とは一線を斯してゐた。明るすぎる「花嫁人形」の着物に、反作用的な暗さを感じ、しばらく人形に捕はれてしまふ。
大展示室。ここは今までどほり。「桜花(模型)」がゐて「彗星」がゐて「97式中戦車」等々、幾多の展示物がある。
どうも撮影禁止が徹底してゐないやうで、いたるところで「撮影」を見かける。・・・禁止させるならきちんと取り締まつて欲しい。撮影禁止を律儀に守つてゐる「撮影好き」な私が馬鹿みたいだ。
*撮影禁止だけれども、写真を撮る人間多し(苦笑)
*ネット上にも掲載されていますので、どうしても興味のある人は自力で探してみてください。
*私は撮影禁止ゾーンの写真を公開する気はありませんが・・・。
展示ブースを全てまはりをはりゲートを抜け出る。売店はあいかはらず子供だましなやうな「土産品」をうつてゐる。外にある土産屋の商品がそのまま引越して来たやうだ。
軽食堂もある。実は私は「遊就館」には無料で入つてゐる。例の「遊就館友の会(会費1000円)」会員(靖國神社崇敬奉賛会)になつてゐるので、「遊就館」には無料で入れる。一回入館が800円なので、充分にお得。ただし何度入館しても同じ展示ではさすがに意味がなく、そこが問題ではある。落ち着いたら企画展等を希望したい。
で、軽食堂や売店も1割引。せつかくだし、ものは試しなので軽食堂で「海軍カレー」を食す。感想は・・・、この感想が一番困る。食べ物の感想といふのは適度な技術を要する。友人の甘木某氏は「カレーははづれなし。ゆゑにカレーを食せば失敗はしない。ただ、カレーのまづい店はすべての料理がまづい店だらう。」といふニュアンスの発言をしてゐたが、その意味でいへば、このカレーは「食べられるカレー」。そこが微妙な所である。
この「海軍カレー」は、
***「明治41年9月に発刊された海軍割烹術参考書のレセピーに基づいて、その時代の味を忠実に再現致しております。
思い出の味を、または心の歴史の旅をどうぞお楽しみ下さいませ。」***
といふメッセージが添へられてゐる。いはゆる「横須賀海軍カレー」とも違ふのだらうか。なんせ真面目な「海軍カレー」は食した事がない。ゆゑに感想は?と言はれても困る。大方の気分で「海軍カレー」と申す自称カレーを食すだけなのだから。ただ一言。万が一、家のカレーが「海軍カレー」だつたとしても、私には違ひがわからない。・・・その程度の味覚の持ち主なのである。私は、食せれば何でも良いので「食」に関して価値判断は要してゐない。
「靖國の日常」
以下は、写真で語りたいと思ふ。いつもと同じ「靖國神社」写真を掲載しても芸がないので、今回は写真に関して自信過剰気味の私が、ちよつと趣向を変へた写真を掲載しやうかと思ふ。撮影日は平成14年8月の上の文章の時と同日です。
靖國には庭園もある |
ゑさをむさぼりくらふコイたち(笑) |
美しい輝きをはなつ「御紋」 |
やさしい光りに包まれる参道
この写真はなかなか良く撮れてゐます |
青空を突く二之鳥居 |
参道のまんなか。神の通り道の「下乗札」 |
このアングルで見る拝殿が良い。 |
淡い夕暮れに沈む「靖國神社」 |
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