「郷土の鎮守様〜文京区西部の神社散歩」
<平成22年5月参拝6月記載>
「小日向神社(八幡神社)」
「今宮神社」
「正八幡神社」
「幸神社」
「水神社」
文京区の神社地図
「文京区南部の神社散歩」
「文京区北部の神社散歩」
早朝神社散歩。
今回は文京区西部。江戸川橋駅7時過ぎに散歩開始。
今回は江戸川橋駅から西に赴く予定。地図はざっと上記の通り。
1 小日向神社
2 今宮神社
3 正八幡神社
4 幸神社
5 水神社
「小日向神社」(八幡神社) (文京区小日向鎮座・旧村社)
(こひなた)
御祭神:誉田別皇命 (八幡大神)
建速須佐之男命(氷川大神)
氷川神社と八幡神社の合祀神社。明治2年5月に小日向神社と改称。
氷川神社はもともと朱雀天皇の天慶3年(940)の春に常陸国大豫の職にあった平貞盛がこの地方を平定し現在の文京区水道端2丁目日輪寺の上の蓮華山に氷川神社を建立したことに始まる。
八幡神社は以前は「田中八幡宮」と呼称し文京区音羽9丁目に鎮座していた。貞観3年(860)の春に創建したと伝承。
明治2年9月に当地にて合祀し、地名を以って明治4年に「小日向神社」と改称、明治5年11月に村社列格。
昭和20年5月25日の空襲で、社殿焼失。昭和24年に仮殿、昭和38年に本殿建設。
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「小向日神社」扁額
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脇にあった鳥居。向こうは小学校。
昔は参道があったのか・・・
鳥居を移設しただけなのか・・・ |
江戸川橋駅から北に約200メートル。神田上水の北側の高台に鎮座。もともとこのあたりは「服部坂」と呼称されており江戸時代には服部権太夫の屋敷があった地。明治2年に小日向神社が服部屋敷跡に遷座してきた。神社の南側には文京区立音羽中学校。服部坂を挟んで向かいには福勝寺がある。社殿は東面。境内の北側には宮司宅もありご朱印も貰えそうな赴き。もっとも私の参拝は朝7時20分過ぎ。さすがに気が引けるので呼ぶようなことはしない。とても良い天気。日差しのコントラストが厳しく写真を撮るには難航しそうだ。写真を気にしなければ気持ちの良い陽気なのだが。
服部坂を下って、いったん目白通りのほうに歩む。
「今宮神社」(今宮五社) (文京区音羽鎮座)
(いまみや)
御祭神:天照大御神
配祀神:素盞嗚尊・伊弉諾尊・伊弉諾尊・誉田別尊・天児屋根命・大国主命・事代主命・速玉大神・少毘古那命・大宮比売命・猿田彦命
菅原道真公
由緒
元禄10年(1697)10月に将軍徳川綱吉公の御生母一位桂昌院が護国寺建立と同時に同所に京都柴野今宮神社の御分霊を迎え鎮座されたことにはじまる。
明治6年7月に現在地に遷座。
音羽・桜木・青柳の町内鎮守神。
昭和20年の大東亜戦争時に戦災にて手水舎を残して全焼。
昭和25年に社殿を新築。
当社は「今宮五社」とも呼称。すなわち伊勢神宮・今宮神社・春日大社・石清水八幡宮・熊野大社を示している。
境内末社の「天日鷲神社」(御祭神:天日鷲命)は明治9年に阿波国の忌部神社より勧請されたもの。
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内閣総理大臣鳩山一郎・扁額 |
境内社「天日鷲神社」 |
境内社「天日鷲神社」 |
7時50分。
目白坂下交差点の東側に鎮座。江戸川橋駅からは北西に約600メートルといったところか。社頭前の道路は目白坂下交差点への抜け道ともなっているtらしく結構な交通量がある。神社はその目白坂に向けて西面している。
扁額は「内閣総理大臣・鳩山一郎」。そうえいばここは音羽。音羽といえば鳩山家だなあ、ということをちらりと脳裏に掠めるも深くは気にしないこととする。ちょうど朝の清掃をご婦人が行っていたところ。やはりご朱印は貰えであるが朝早いので遠慮しておく。私が参拝している間に原付でピンポイントに乗りつけてきた人は同業者(神社参拝を趣味とする人)だろうか。ぱっぱと写真を撮って走り出してしまった。
境内社の天日鷲神社参道はよく手入れされた花々が鉢植えで並んでいた。ご婦人が世話をしているのだろう。気持ちよい雰囲気だ。
「正八幡神社」 (文京区関口鎮座)
(しょうはちまん)
御祭神:品陀和気尊
創建は慶長16年(1611)頃と伝承。
江戸期は目白八幡宮竜泉寺滴雲寺住職奉仕。
社号標は大正14年。現在の社殿は昭和12年5月建立。平成元年12月参道改修工事。
8時10分。目白坂下南交差点から江戸川公園の脇を抜けて坂道を登っていくと正八幡が鎮座している。永泉寺の西隣。境内は南面している。
社頭前の掲示板に文京神社めぐりの案内が掲示してあった。参拝地図は200円。朱印色紙は朱印込みで700円。専用色紙の朱印は200円とある。今回、文京の神社を集中的に回っているがこのような企画があるのをここで私ははじめて知った。もっと大々的に関係神社で推して行けばよいのに、もったない話でもある。少なくとも私は文京区の神社をあっちこっち行ってみたが、ここ以外に見本を拝見していなかったりする。もっとも朝が早い参拝が多いので社務所がしまっていて気がつかないだけかもしれないが。
この神社では掲示物でいろいろ教わる。「文京神社めぐり」もそうだが、全国八幡連合「応神天皇千七百年式年祭」の幟もはじめてみる。そういわれてみて「なるほど1700年か」と感慨を深くしてみたりする。
「幸神社」 (文京区関口鎮座)
(こう)
御祭神:猿田彦命・稲荷大神
創建由緒不詳。社号標は昭和6年9月建立。平成20年9月に鳥居・狛犬等境内改修工事完了。
8時30分。
文京区立関口台町小学校の北隅。その北側には「椿山荘」がどんっと広がっている。幸神社自体はとても小さな神社。神社は道路に面して北東を向いている。境内の樹木と小学校の樹木がうまい具合にこんもりとしている感じ。
ちょうど小学校ではなにかの催し物があったのだろうか。神社前は静かな道路であれど、人の歩みがみな小学校へと向かっていた。
「水神社」 (文京区目白台鎮座)
(すい)
御祭神:速秋津彦命・速秋津姫命・応神天皇
創建由緒不詳。
少なくとも元禄10年(1697)に社地を削って胸突坂を作ったとされているので、それ以前の鎮座か。
関口大洗堰の建造年代は不詳なれど寛永6年(1629)以前の建設と推定。神社は堰完成以降の鎮座だろう。
江戸期には「神田上水関口水門の守護神」として崇敬。境内後背は「椿山」(目白台)、社地前には神田上水が流れている。
伝承によると水神が八幡宮宮司(正八幡神社か?)の夢枕に立ち「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げられたのでここに水神を祭ったという。
平成9年10月に社殿改良工事完了。平成17年9月に鳥居建立。
椿山の森 |
神田川(神田上水) |
平成17年9月再建の鳥居。
平成16年に社殿左のイチョウの枝が大風で折れて鳥居に直撃。
その翌年に再建という。
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目白通りから「永青文庫」方面へと歩みを進める。このあたりは「椿山」と呼称される高台で緑が豊富。
永青文庫は室町幕府管領家の一門で江戸期には肥後熊本54万石の細川家の下屋敷があった場所。細川家がこの地にはいったのは幕末のころで最終的には新江戸川公園・永青文庫を含む神田上水から目白通りに及ぶ38000坪を保有していた。永青文庫は細川家の収集した歴史資料や文化財などを保存し昭和25年に設立。昭和47年には登録博物館として一般にも展示公開されている。
8時40分。
永青文庫と蕉雨園(もと田中光顕旧邸)の間を神田川駒塚橋に下る急坂を歩む。
坂は「胸突坂(水神坂)」と呼称され元禄10年(1697)に水神社の社領を削って作った坂という。
その坂下の西には水神社が鎮座。社殿は南面している。
神社の東にはかつて松尾芭蕉が住んでいたと伝承される関口芭蕉庵がある。見学自由で入園無料な芭蕉庵は魅力的であるが開門は10時から。さすがに速すぎる。
水神社自体は、ちいさな社殿。その社殿前にはひときわ大きな二本の御神木・公孫樹(イチョウ)がある。二本の木の間に参道がある。樹勢を感じさせる新緑はその佇まいを見上げるだけで神威的なものとなる。
無名の神社であるが、なかなかに良いものに接せられた。こういう出会いがあるから楽しいのだ。
このあとは歩いて護国寺駅へ。実は腰掛稲荷神社や吹上稲荷神社に行く予定だったが、腰掛稲荷神社を見つけられず後日のリベンジ。
サイト掲載的にも別途とする。
余事。せっかくだから正八幡神社に掲示されていた「文京神社めぐり」を掲載
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参拝地図・・・200円
色紙・・・700円(朱印料含む)
神社めぐり朱印・・・200円
対象神社は左記の16社。 |
参考文献等
各神社境内の案内板等
東京都神社名鑑
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