郷土の鎮守様〜調布市深大寺周辺の神社 平成20年12月
調布市深大寺方面の神社を幾社か掲載。
各社ともに紅葉落葉が神社を彩っていました。
目次
深大寺元町ノ稲荷神社/虎狛神社/青渭神社/池ノ上神社/深大寺元ノ神明社
深大寺北町ノ富士浅間神社/深大寺東町ノ諏訪神社
付記:野崎八幡社
深大寺元町ノ稲荷神社 (調布市深大寺元町2−3−14)
御祭神 倉稲魂命
境内配神 御嶽社
深大寺又住集落の鎮守。地付きの当社氏子37軒はあわせて青謂神社の氏子でもある。
良く晴れた休日の午後。せっかくなので散歩に行こう。そんな気分で家からスタート。
まずは虎狛神社のすぐ近くにあった「稲荷神社」。中央高速道の脇近くでもあり、調べるまでは神社がある事すら知らなかった。
社頭には大きな桜の木が2本並んで立っている。きっと春になれば社頭は素敵な桜色に包まれるであろうことが包まれるであろうことを想像しつつ、いまは落ち葉に覆われた境内を散歩。
こぢんまりとしているけど、とても良い空間。社殿の脇に小さな御嶽祠があり、木に縄を這わせて簡易鳥居が作られたいたりするのがほほえましかった。
虎狛神社 こはく神社・前回掲載・延喜式内社・明治社格:郷社・別名虎柏神社(調布市佐須町1−14−3)
祭神:大歳御祖神・倉稲魂命
神社の創建は崇峻天皇2年(589)とされる。 狛江郷(狛江・調布)のなかでも最も早くからひらかれたところといわれ、当社はここに住居を定めた渡来系高麗人の集落神として祀られたものと推定。 延喜式内社に列する古社。ただし同名社が青梅市根ヶ布にもある。 佐須地区総鎮守とされ、佐須は古くは当社神主の姓を地名としたともいわれている。 明治6年に郷社列格。
調布に住むようになって、虎狛神社にも何度か足を運ぶようになった。はじめて来たときは、この神社を1時間以上も探しながら歩き回ったのは良い思い出。
秋の木漏れ日の光が紅葉する木々の隙間から暖かく差し込んでくる。決して大きな神社ではないけれども無造作に林立している木々に囲まれた、この神社空間の広がりは結構すきだったりする。
青渭神社 あおい神社・前回掲載・延喜式内社・明治社格:郷社 (調布市深大寺元町5−17−10)
祭神:青渭大神(水神) 祭神は水波能賣大神・青沼押比賣命とも青沼馬神比賣命、一説に大池に棲む大蛇を祀ったものともいう。
創立は不詳。現在は深大寺の寺域にあり、眼下を川が流れるところに鎮座している。弥生的稲作に適した地域であり、付近に弥生遺跡がある。また豊富な湧き水があり、水神を祀ったものとされる。清水が青波をたたえていることから「青沼天神社」とも称された。 明治6年に郷社列格。社殿は平成4年竣工。境内には樹齡数百年(約600年)をほこる市内随一のケヤキの大木がある。 深大寺地区の総鎮守。
深大寺を背にして東向きに鎮座。
青渭神社にきてみて驚いた事。ご神木のケヤキが数メートル短くなっていて、なおかつ鉄柱が幹を支えていた。もともと水量が豊富で地盤が弱かったところ、
2008年に入って、幹が道路側に徐々に傾きはじめ、10月の大雨で一気に地盤が緩くなって傾いてしまったという。
保全の為に先端を切り落とし、2本の鉄柱で幹を支える事となった。
青渭神社のケヤキは市内最古の樹齢約600年を誇るご神木。なんとか生き続けてほしいと願いつつ、そんなケヤキの大木を見上げる。
ゆっくりと御朱印を頂戴し、ゆっくりと境内を一巡する。ノンビリしたくなるようなとても好きな気配にあふれてた。
池ノ上神社 いけのかみ神社(調布市深大寺南4−2−8)
御祭神 池ノ上大神(いけのかみのおおかみ)
境内配神 稲荷社・御嶽社
深大寺絵堂地域を氏子とする。地域85軒程度が氏子。
社殿は東に池の谷、西に深大寺境内を湧水源とする谷戸田(昭和30年代までは水田地域)に挟まれた台地上に鎮座。
池ノ上神社本殿の左側には村内の武州御嶽社、右側には稲荷社を末社として祀っている。
武州御嶽社は元村内の小祠。現在は絵堂地区の鎮守である池ノ上神社の境内末社。今も武州御嶽講は継続しているという。
稲荷社は明治40年に絵堂村内の「里の稲荷」「阿弥陀稲荷」と合祀のうえ池ノ上神社の境内末社となる。
青渭神社から徒歩5分ぐらいの場所に鎮座。中央高速道が社地のすぐ後ろを走っていて、社殿は北向き。中央高速からは丘のようになっておりちょっと小高い鎮座地は、それこそ池ノ上の社名にふさわしい。
近くの道を歩けば、取れたての柚子が販売されていた。一緒にいた嫁がおもわず柚子を購入してしまうほどに、気持ちの良い環境。
付近は静かな住宅地というよりも農村のような開放感にあふれる。大通りからちょっとはずれただけなのに、田舎のような雰囲気が味わえたのが嬉しかった。
深大寺元町ノ神明社 (調布市深大寺元町5−32−2)
御祭神 天照皇大神
配神 倉稲魂神(明治41年合祀)
深大寺小字宿集落を氏子とする。もともとの地付きは36軒とされるが、現在では約140戸の奉賛会員が氏子となっているが青謂神社の氏子も兼ねている。
深大寺で蕎麦を食べて、深大寺の西側を歩いてみる。「武蔵境通り」に沿って南向きに鎮座。
青渭神社が深大寺の東側に鎮守していて、神明社がちょうど西側に鎮座している。敷地の手前半分が公園となっていて参道と一体化していた。秋の木漏れ日もまぶしく、すぐの道路の喧騒も境内では気にならない環境だった。
深大寺北町ノ富士浅間神社 (調布市深大寺北町1−38−3)
御祭神 木花咲耶姫命
深大寺の山野地区が氏子。80軒程度という。
深大寺の北側、武蔵境通りに面して鎮座。社殿は西向き。道路拡張の余波をうけてかはわからないが当社には鳥居がなかった。社頭も少々狭い感じがし、社殿自体も新築であったことから移転を伴っているかもしれない。武蔵境通りに取り残されたように背の高い木が残っていたのも、神社参道の名残かもしれない。
社地は窮屈であったが、道路に面している事が逆に開放感を生み気楽に立ち寄れる気配があった。
深大寺東町ノ諏訪神社 (調布市深大寺東町8−1−3)
御祭神 建御魂命
配神 倉稲魂命 御嶽社
深大寺地区野ヶ谷集落を氏子とし現在約130戸という。
境内の東側は諏訪久保という谷であったという。創建年代は不明だが、水にまつわる神様を祭ったことにはじまると推測。
境内社の御嶽社は元村内の小祠。明治43年に合祀。無格社。
三鷹通りに面して南東に面している。細長い参道に鳥居が三つ重なっていて、まっすぐに拝殿までのびている。
落ち葉の銀杏が綺麗な黄色の絨毯をつくっていた。落ち葉にもいろいろあるけれども、ちょうど黄色一色でいろどられていた境内が好ましかった。
付記 調布北側の三鷹に鎮座
野崎八幡社 (東京都三鷹市野崎鎮座)
祭神 応神天皇
野崎村が元禄8年に開拓され、その6年前の元禄2年(1689)に社地が深大寺末寺池上院に寄進され八幡社が勧請。
現在の社殿は大正15年(1925)に再建。
境内末社は稲荷社・金比羅社
境内には薬師堂も鎮座。野崎に薬師堂が勧請されたのは文久年間(1863頃)に愛知鳳来寺の尼僧「梅風尼」によって薬師如来(訳詞瑠璃光如来)がもたらされたといわれている。そのとき以来、毎年10月8日夜9時に「だんごさま」の行事が欠かさず執り行われている。(この日の夜に「薬師団子」が蒔かれ眼病を治すのに霊験あらたかと言われている。)
交通量の多い東八道路と武蔵境通りの交差点角に鎮座。神社境内にそって南北にのびる武蔵境通りは常に車が信号待ちの為に溜まっている状態だった。
境内は木々も少なくなっており、ちょうど境内も工事中らしく、あるべき参道石畳や鳥居も撤去されているようだった。ちょっと寂しい感じにあふれていたが社地の整備が終われば落ち着きを取り直してくれるかな、と信じつつ。
あとがき
今回は、嫁と二人で近所を散歩する感じで神社を回ってみました。
改めて今住んでいるところを私の視点と嫁の視点でそれぞれ体感しながら散歩をするのもおもしろいものだなあ、と実感できた一日でした。
参考文献
調布市史 民俗編 昭和63年3月発行 調布市市史編集委員会
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