「北陸縦断駆け抜け詣で・3 福鉄沿線編」
<平成17年3月参拝・8月記載>
目次
加賀編 白山比盗_社・菅生石部神社・大原神社
福井編 福井神社・佐佳枝廻社・柴田神社・藤島神社・足羽神社
福鉄編 剱神社・神明社・総社大神宮
14時30分過ぎに「公園口」停留所から福井鉄道に乗り込む。行き場所は急に思い立った神社。
織田の剱神社。
最寄り駅は「福井鉄道・神明駅」。行き方は不明。駅前のバスに乗ればなんとかなるだろう。バスがなければ諦める。
いさぎよいのか、無謀なのか。
運がよいことに15時13分に織田行きのバスがくる。織田着予定は15時54分。意外と遠い。そして無計画の私はどこまでバスに揺られるのか不安心を抱きつつバスに乗る。
「剱神社」(剣神社・つるぎ神社・織田明神・国幣小社・式内論社・越前二の宮)
<福井県丹生郡越前町織田金栄山鎮座・朱印>
祭神
素戔嗚尊
気比大神
忍熊王
古来より、この地には素戔嗚尊が祀られていた、という。伊部郷座ヶ嶽の山上にイソシキノイリヒコ命がつくらしめた神剣を伊部臣が鎮斎したものを神功皇后摂政13年(873)に、忍熊王が当地に祀ったことにはじまる。
忍熊王は仲哀天皇の皇子であり、都を離れて越の国に遠征され賊徒を征討。悪戦苦闘の際に、霊夢によって伊部臣にあい、神剣を得て賊徒を平定。この神剣をもって素戔嗚尊の御霊代(都留伎日古命)としていつき祀り、忍熊王は神恩感謝の為に織田の地に社をいとなみ「劔大明神」としてまつられた。
忍熊王が当地にて薨去されると、里民らは忍熊王をあわせて祀り、のちに父神である気比大神とともに祀ったという。
朝廷の崇敬が篤く、光仁天皇は神護景雲4年(770)に弓削道鏡追討祈願に神馬と神鐘を奉納。神鐘は国宝に指定されている。
中世以降は守護の斯波氏、そして朝倉氏織田氏によってあつく崇敬。
特に織田氏(忌部氏)は越前織田の庄の庄官、剱神社神官として代々奉祀してきた家柄であり、応永年間の忌部常昌が越前守護斯波氏に才能を認められて尾張国に派遣。尾張織田氏の発祥となり織田氏を称する。
尾張織田氏の織田信長は越前朝倉氏を滅ぼすと、剱神社を織田氏神として篤く崇敬。越前国内で気比神宮に次ぐ勢力となり越前二の宮として信仰される。
明治7年(1874)に郷社列格。明治34年に県社、昭和3年に国幣小社に昇格した。
本殿は入母屋造。千鳥破風、唐破風付。織田造りとも称する。江戸時代初期の寛永四年(1627)再建。県文化財指定
摂社織田神社は流造。室町初期の建立。県文化財指定。
正面 |
剱神社 |
境内 |
拝殿 |
摂社織田神社と本殿 |
本殿 |
織田町にはいるまで、不安に囲まれる私がいる。いつでも未知なる土地に行くバスは不安要素が多い。鉄道ならその不安もないのだが、バスだとなにかが不安なのだ。
で、バスは問題なく神社前に到着。実は、「福井鉄道鯖浦線」という廃線後のバスでもあるのだ。織田町のバスターミナルは織田駅の名残でもあるが、そんなことは余事である。
鬱蒼たる樹木に覆われ、残雪残る境内は、やさしげであった。「剣の神社」、そして織田の氏神というイメージが私に猛猛しいイメージを植え付けていたようであったようだ。
社務所でいつもどおりに「どこからきたの」「埼玉から来ました云々」とやりとりして、呆れられたか否かは定かではない。
「神明社」
<鯖江市水落町鎮座>
天照大神・豊受大神
安康天皇時代の建立とされる。鎮守の森は「烏ヶ森」と呼称されている。江戸期に結城(松平)秀康が社殿を改築。神明造りの本殿と中雀門はこのときのものという。
社地内には神官瓜生家の旧瓜生家住宅(重要文化財)もあり、200メートル北には兜山古墳があり、神明社境内にも古墳が点在し烏ヶ森古墳群とされている。
織田町からバスで神明駅まで戻ってくる。時間は夕方五時。まだ日はある。時間がちょっとだけある。
由緒も由来もしらないけれども、神明駅の神明町の神明社まで足を伸ばしてみる。意外に広い境内は、片手間で訪れるには慌ただしすぎる。なにやら小走りの私に嫌気がさすが、福井鉄道に乗りおくれるとなかなか大変なので、そこは気の急くままに散策。
神明町から福井鉄道に乗り込んで武生新へ。武生駅から「総社」に行きたいが、もう時間が限界値。
「総社大神宮」(県社・越前国総社)
<福井県武生市京町鎮座>
主祭神:大己貴命
左相殿:天地之神霊
右相殿:末社五十八神
武生はもともとを府中と称しており、越前国庁所在地であった。当社は越前国の総社。創建年代は不明。「惣社大明神」
一遍上人絵伝にも記載される古社。
武生新駅に到着したのが17時43分。
かろうじてまだ日は残っている。小走りに急ぎ足で総社を目指す。今日の最後の目的地になりそうだ。
JR武生駅前から道は一直線。約500メートル西に鎮座している。社頭に到着したのが17時55分。かなり息切れ。もっとも神社にさえ到着すればもう急ぐこともない。境内は徐々にあたりが暗さへとかわるが、それでも地元の方々が散歩を兼ねて立ち寄っているようだ。なかなか人が途切れない。
面白いことに参道に屋台ではない「小店」が固定的に連なっている。なかなか神社では珍しい参道。拝殿上の彫刻もなかなか繊細で、のんびりと眺めるには申し分がない。なかなか良い佇まいであった。
静かにゆっくりと、一日を振り返りつつ参拝すれば、私は最後まで慌ただしい。
福井県武生にいる私は本日の宿屋を岐阜県大垣に用意している。翌日の都合で、なにやら最後も慌ただしい移動が待っていたのだ。
参考文献
案内看板、由緒書き等。
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・18 福井県
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