「福山の神社探訪〜その1・鞆の浦編」
<平成18年1月・5月参拝>
その1・鞆の浦編
「沼名前神社」/「子烏神社」/「淀姫神社」
その2・福山駅周辺
その3・福塩線沿線
平成18年1月。尾道にいった際に、足を伸ばして福山におもむいた。とくに深いことを考えていたわけではなかった駅前から「鞆の浦」行きのバスが15分間隔で運行されており、思わず乗って辿り着いたのが「沼名前」。
このときはあまり時間がなかったので「鞆の浦」バス停周辺の神社を二社詣でただけであった。
平成18年5月。またまた尾道にいった。なんとなく尾道からの帰り道をどうしようかと迷っていたら尾道港から鞆港まで船が運航されていることを知った。せっかくなので鞆港までおもむいて、相変わらず深く考えずに神社詣で。
今年は尾道・福山に行くことがとある理由で集中しており、そんなこんなの神社詣でも集中していく。
そんなこんなで福山周辺の神社を詣でよう。
「沼名前神社」(ぬまくま神社・式内小社・旧国幣小社・鞆の祇園社)
<広島県福山市鞆町鎮座・朱印>
祭神:大綿津見命・須佐之男命
仲哀天二年(約1700年前)に、神功皇后が三韓征伐のため西国下向した際に、この浦に寄泊し、大綿津見命を祀り海路の安全を祈願したことに始まる。
神功皇后は西国から都に帰られる途中で、再び当地に寄泊し、大綿津見命の御前に身につけていた「鞆」を奉納。妹君の虚空津姫命を祭主として仕えさせ、この地を「鞆の浦」と呼称するようになった。虚空姫命は別名を「淀姫命」ともいい、現在は鞆の浦の入口の丘の上に淀姫神社としていつの頃からか祀られている。
延喜式所載の神社。「備後国風土記」の「疫隈(えのくま)の国の社」
しかし中世期には「沼名前」の名を伝える神社がみえなくってしまったという。福山藩主水野家が崇敬していた「渡明神(船玉命)」を、当地に鎮座していた祇園社にまつり、主祭神を渡明神とし、祇園の祭神を相殿神として明治9年(1876)に現在の沼名前神社として成立。
祇園社は天長年中(824−34)もしくは保元年中(1156−59)の創建といはれ、この祇園社が疫隈社であるという。
明治4年に国幣小社列格(祇園社が式内社沼名前神社を復名して列格)。現在は神社本庁別表神社。能舞台は豊臣秀吉ゆかりのもので組み立て式能舞台として日本唯一のものとして国重要文化財指定。伏見城解体時に福山藩主水野勝成が拝領。
沼名前神社正面 |
参道 |
国重要文化財・沼名前神社能舞台 |
境内社。左がもともと境内に祀られていた渡明社 |
石段 |
拝殿 |
拝殿 |
本殿 |
鞆鉄道という鉄道が走っていたことは知っていた。
福山駅のバス停を眺めていたら「鞆鉄道バス」が鞆の浦まで運行されており、それも15分間隔で運行されていた。非常に乗りやすいバス。そういえば神社があった、ということを即座に思いだし、一路「沼名前神社」を目指すことにする。
バスに揺られて「鞆の浦」に到着。潮の香りが賑やかで、釣り客がひしめいていた。私は海を瀬にして山側に歩く。
100メートルほど西に歩くと「小烏神社」が鎮座しており、その先をさらに300メートルほど西に歩けば「沼名前神社」に到達する。
一直線に伸びる参道の先は石段になり、社殿が高台に鎮座しているのがよく見える。神威を感じる景観に心が落ちつけながら、神社に近づく。非常に良い気配がした。
「鞆」という、なにやら旅情をそそられる地で、あわたただしく神社にかけつけて、せめて神社だけはのんびりと散策したいと思う。
「子烏神社」(こがらす神社)
<広島県福山市鞆町鎮座>
祭神:小烏大神・天目一箇神
創建年代は不明。室町時代後期に三原刀匠の流れをくむ一族が氏神として祀ったのがはじまりという。鞆鉄工業の神。
鎮座地はもともとは「小烏の森古戦場」蹟とされる。
正平4年(1350)に足利尊氏の弟足利直義の庶子であった足利直冬が中国探題として「鞆」に居地を構え勢力を拡げていた。直義派の台頭を快く思わない高師直はそれに対し直冬謀反の兆し有りと尊氏に吹聴し、直冬追討軍を派遣。
それに対し直冬も手勢をあつめ、中央軍を「小烏の森」で迎え撃つも寡兵かなわずに敗退。これを「小烏の森合戦」という。
立ち寄ってみて、いろいろ学べる神社が多い。まったく予備知識がない状態で、興味深いことを発見できると、なにやら得した気持ちになる。
この神社は、そんな得した気持ちになる神社だった。神社自体は静かな鎮守様。
気が付けば、この場所は「太平記」の時代につながる。
まさかこの場所で「足利直冬」の名前をみるとは思わなかったので驚きもひとしお。さすがに「瀬戸内交通の要所」にして「要港」をほこる鞆の浦であった。
「淀姫神社」
<広島県福山市鞆町鎮座鎮座>
主祭神:淀姫命(淀媛命・虚空姫命)
j神功皇后が三韓征伐のため西国下向し、鞆の浦の地に寄泊。帰路も当地に寄泊し、携帯していた「鞆」を奉納。大綿津見命を祀った際に、妹君の淀媛命を祭主として奉任。その神社が沼名前神社(渡守神社)の起源。
数年後に淀姫命は鞆の浦を去ったが、いつのころか当地に氏神として奉斎し、鞆の浦湾の入口の丘の上に鎮座する護り神として現在に至る。
現在の社殿は大正3年に建立。平成13年に修復。
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左
鞆の浦の淀姫神社 |
淀姫神社 |
淀姫神社からみる鞆の浦 |
境内は丘の上 |
拝殿 |
淀媛神社は2006年5月の参拝。この年は1月と5月に尾道に行っており、なぜか鞆の浦にも二回行っている。
尾道から鞆の浦まで船が出ていることをしったので、行ってみたというわけ。実は沼名前神社に行った時は時間がなかったので、淀姫神社は諦めた経緯があったので。
船から丘を見る。なるほどな、という湾口の鎮座地。まさに航路の護り神。
鞆の浦の港から、この神社に行くには、約2キロほど鞆の浦湾をぐるっと回り込まなくてはいけなくて、だいぶ疲れる。そのうえ「尾道で買い込んだ」おみやげを多数抱えているから、なおのことつかれた。そこまで考えずに歩き出していたので。そんなわけでつかれる土地。鞆の浦の街は、道が狭くて、それでいて車の往来は多め。ちょっと歩くだけでもなかなか大変なのだ。
おまけ。
尾道から鞆の浦まで、船にて移動。
阿伏兎観音(国重要文化財) |
阿伏兎観音(国重要文化財・観音堂) |
鞆鉄道バス 昭和33年製造の古風なボンネットバス |
ボンネットバスは土日祝限定で一日二往復 |
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左:
鞆港と常夜灯のある風景 |
鞆の街並み |
鞆の古風なお店 |
まずは福山・鞆の浦の神社を掲載。
このあとは福山駅周辺と、福塩線沿線を予定。
参考文献・サイト
案内看板、由緒書き等
角川日本地名大辞典・広島県
その2・福山駅周辺
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