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「福山の神社探訪〜その2・福山駅周辺編」
<平成18年1月・5月参拝>


その1・鞆の浦編
「沼名前神社」/「子烏神社」/「淀姫神社」


その2・福山駅周辺
三蔵稲荷神社」「備後護國神社」「福山ノ艮神社」「福山八幡宮

その3・福塩線沿線


今年は広島に行くことが多い。諸事情で。
そんなわけで福山に宿泊したある日の午前中。駅周辺を参拝してみる。



三蔵稲荷神社(福山城守護神)
<広島県福山市丸之内鎮座>

祭神
宇賀魂大神・猿田彦大神・大宮女大神

福山城築城時に水野勝成が備後国の守護神として城内に創祀。
水野勝成の行列にいつのころからか謎の侍が護衛に付き、名を尋ねると「城の北側に住んでおる三蔵と申す」と言い去った事から由来するという。
以後、代々の城主が直祭した神社。藩内には当社の分社が多数あり、庶民信仰の篤い神社でもある。

JR福山駅から福山城にそって300メートルほど北上すると、神社の入り口が見える。福山城内鎮守ゆえに、あたりまえだけどお城のすぐ近く。
社地は、お城の高台ともなっていて、開放的。雰囲気としては稲荷らしくない。もっとも稲荷らしいという判断を「朱鳥居」の多さ(伏見的な見方ではあるが)で判断したりするのも同化とは思うが、そんなに鳥居は多くない。



備後護國神社」(内務大臣指定護國神社)
<広島県福山市丸之内鎮座>

御祭神:
大彦命・武沼河別命(二柱とも四道将軍)
阿部正弘公をはじめとする歴代備後福山藩主
備後出身の護国の英霊

「備後護國神社」
明治元年に福山藩主・阿部正恒が戦死者の霊を祀るために招魂社を建立。
明治34年に官祭の福山招魂社と改称。昭和14年に内務大臣指定の福山護國神社。
昭和31年に福山藩主阿部氏が建立した阿部神社を合祀。
昭和32年に備後護國神社と改称し、現在には別表神社。

「阿部神社」
阿部神社の建立は文化10年(1813)に福山藩主が祖霊を祀ったことに始まる。歴代の福山藩主のうち、特に阿部正弘公が著名。

三蔵稲荷から道を挟んで50メートル北側の高台に鎮座。藩主を祀る神社と英霊を祀る神社を兼ねている。
広島県としては広島城趾に護國神社がある(巫女さんで有名な)が、こちらはさらに「備後国」に限定。それでもさすがに福山城の一郭に鎮座しているだけあって規模が大きい。
四道将軍の大彦命(北陸道)・武沼河別命(東海道)を祀っているのがよくわからない。吉備の国ならおなじ四道将軍でも吉備津日子命(山陽道)だろ、と思いたくもあるが。もっとも四道将軍(崇神天皇のころに地方に派遣された将軍たち)を云々いいだすあたり、私の感覚はすでに神社マニアだ。



福山ノ艮神社(うしとら神社 旧郷社 松廻尾山)
<広島県福山市北吉備町鎮座>

祭神:伊弉諾尊・素戔嗚尊
(艮大明神・秋津艮大明神)

創建年代は不詳。平安時代に藤原家の荘園として栄えていた頃に須佐之男神を祀る「牛頭天王社」として建立。建武元年(1334)に現在地に遷座し伊弉諾尊を併祀したという。
当時は「秋津洲神社」と呼称。
元和年間に水野勝成が福山城築城に際して、丑虎の鬼門守護として「艮」の名を加えたという。
明治維新後に「艮神社」と呼称。
明治5年に村社、昭和5年に郷社列格。

艮神社

参道から楼門にいたり、
75度ぐらい右側におれたところに社殿が鎮座している。

わざわざ福山ノ艮神社とことわったのは、すでに尾道ノ艮神社をサイトにのせているから。もっとも艮神社としては福山の方が有名だとは思うが。他の艮神社との繋がりは不明。

備後護國神社の200メートル北西。わかりやすく言うと福山八幡の東側の高台に鎮座。福山八幡宮は備後護國神社の100メートル北側の高台に鎮座。このあたりは福山城の高台と、福山八幡の高台と対面しているような地形。
その神社名のとおりに福山城の丑虎に鎮座している。



福山八幡宮
<広島県福山市北吉備町鎮座・旧県社・朱印

祭神:応神天皇・神功皇后・比売大神(宗像三神)

創建年代は明かではない。東西に東宮・西宮2社が並び、両社八幡宮と通称。福山総鎮守。
天和三年(1683)に福山藩主水野勝慶が、もともと別の地に鎮座していた「野上八幡宮」と「延広八幡宮」を福山城北の現在地に移転し、それぞれを西宮・東宮として左右対称に鎮座させた。

野上八幡宮(若宮八幡)・西宮は野上村の鎮守。天文年間に神辺城主杉原盛重が松山の地に移転させ、水野勝成が福山城築城にあたり、再び野上の地に遷座。天和3年に現在地に遷宮。
延広八幡宮(惣堂八幡)・東宮は福山城築城に際して、延宏の地に遷座。寛文二年頃に水野家家中に騒動が起き、その際に騒動を連想する社名を惣堂から「延広」に改称したという。

昭和3年に県社列格。昭和44年に両社の法人格を合併して「福山八幡宮」と称した。現在は神社本庁「別表神社」。
昭和59年に現在地への両社建立三百年を記念して、中央拝殿を建設。


楼門(東宮)

境内地図。東西の神社の配列がわかるかと。

東宮

東宮から

東宮本殿

中央拝殿本殿

中央拝殿から。西宮は修復工事中

福山八幡宮を西宮から

水野勝成を祀る聡敏神社(境内社)

水野勝成公を「聡明俊敏」とたたえる社名。

非常に規模が大きい神社。予備知識なしで訪れたせいで、現地でかなり驚いてしまった。
規模の大きな神社が3棟ならんでいるような状態。

社地は非常によく整えられていて、東西対照のレイアウト。参道も東西からまっすぐに北側にのびており、それぞれが東西の楼門をぬけると、東西の車社殿に到達。もともと二つの八幡様があわさったゆえの社殿レイアウト。その中央部には中央拝殿があるため、正面からみると3つの拝殿が整然と並んでいて、かなりの圧巻を感じられる。


おまけ

「福山神社」
<広島県福山市鎮座>

祭神
恵比寿大神・金比羅大神・三蔵稲生大神・沼名前大神

ここは願い事をする神社ではありません。
自分の年と名前を告げ腹の底より
ありがとうございます
を三回言うことでいつの間にか人生の扉が開いたとお礼参りも増しています
まずは年とお名前からどうぞ

・・・とのことです。案内看板によると。

こちらは駅の南側。鞆の浦に向けてバスに乗っていたら、なんか大きな鳥居が商店街にあったので、帰り道に立ち寄ってみたら、小さな神社があった。
詳細は不明だけれども、商店街が盛り上げる神社というのも、大切な要素の一つではある。悪い感じはしないのだ。



参考文献・サイト
案内看板、由緒書き等
角川日本地名大辞典・広島県

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