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「出雲松江散歩」
<平成18年9月参拝・平成21年3月記載>


目次
「その1 佐太・神魂・熊野」
   『佐太神社』(出雲二の宮・延喜式内社・国幣小社・出雲三大社の一社・国重文社殿)
   『神魂神社』(県社・意宇六社の一社・国宝社殿)
   『熊野大社』(出雲一の宮・延喜式内名神大社・国幣大社・意宇六社の一社)
   『熊野大社上の宮跡

その2 松江
   『売布神社』『白潟天満宮』『須衛都久神社』『松江神社』『松江護国神社』『城山稲荷神社』

「その3 出雲・三次」・・・別シリーズにて掲載<かみちゅ!出雲編<<朝霧の巫女・三次編

*出雲三大社・・・出雲大社・日御碕神社・佐太神社
*意宇六社 ・・・神魂神社・熊野大社・揖夜神社・真名井神社・八重垣神社・六所神社


『出雲松江に向けて』
平成18年9月5日。このとき私は遅めの夏休みを取得していた。

サンライズ出雲にのりこむ東京駅22時ちょうど。
B寝台個室コンセントにノートパソコンを接続し、明日のことを考えつつ、片手に酎ハイのひととき。
明日は雨らしい。はやくも予定を変更しようとしている私。この車中で思案をせざるをえないのだ。

松江には0935につく。初日の宿も松江。それならば初日は松江にしよう。ついつい鉄道マニア的思考で終点までいきたくなるものではあるが、その必要もあるまい。松江で神社をもうで、宍道湖畔でもながめよう。
次の日は出雲に赴いて、出雲から一畑高速バスで「朝霧の三次」にいくのがよいだろう。
三次はすでに二日目の宿を確保済み。せっかくだから三次から広島には急行「みよし」にのりたいと思いつつ。
寝台のなかでのさしあたっての私の思案はこんなところ。あまり考えすぎないほうがいいのだ。

伯備線。急にローカルちっくになるサンライズ出雲。これから山を越えるのだ。
0630に岡山で、南へ向かう高松行きのサンライズ瀬戸と、北に向かうサンライズ出雲が切り離し。

山陰に向かうにつれて雨が強くなってきた。いろいろ予定を変更かな。レンタサイクル中止。ぶらつき中止。
荷物をコインロッカーにつめこんで、デジカメと御朱印帳だけをもって飛びだそう。

<このときのタイムスケジュール>

0935 松江着
1000 松江バス停発 一畑バス6番のりば
1026 佐太神社バス停着 
<佐太神社>
1112 佐太神社バス停発
1137 松江バス停着
1145 松江バス停発
1203 風土記の丘バス停着
<神魂神社>
1333 風土記の丘バス停発
1338 八雲車庫バス停着
1340 八雲車庫バス停発 八雲コミュニティバス
1356 熊野大社バス停着
<熊野大社>
1440 熊野大社バス停発 八雲コミュニティバス
1458 八雲車庫バス停着
1525 八雲車庫バス停発
1548 松江バス停着

まあこんなものか。美保の神社はまたの機会にしよう。出雲はどうせまたくるのだから。
あとは宍道湖湖畔をあるきながらホテルにチェックインしてプラプラするか。明日のことはそのあと考える。

備中の山の中を走るサンライズ出雲号。山陽山陰を縦に結ぶ伯備線は特急でも3時間を要す。
中国山地の縦移動はなかなかに大変なのだ。
なんか雨が強いし、それこそ朝霧がでているようで、もやっているし、今日は最悪かもしれない。
備中高梁を通過。天地無用な各地を通り抜けながら。



『佐太神社』朱印・出雲二の宮・延喜式内社・国幣小社・出雲三大社の一社・国重文社殿)<島根県松江市鹿島町佐陀宮内>
   さだ神社

正中殿 祭神:佐太大神(さだのおおかみ)=猿田毘古大神(さるたひこおおかみ)
       伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
       伊弉冉尊(いざなみのみこと)
       事解男命(ことさかおのみこと)
       速玉之男命(はやたまのおのみこと)

北殿  祭神:天照大神(あまてらすおおかみ)
       瓊々杵尊(ににぎのみこと)

南殿  祭神:素盞鳴尊(すさのをのみこと)
       秘説四座(ひせつよんざ)

出雲国風土記に「佐太御子社」「佐太の大神の社」と記載される古社。社殿は西面している。
佐太大神は神魂命(かんむすびのみこと)の子、支佐加比売命(きさかひめのみこと)の子とされ、八束郡島根町加賀の洞窟でうまれ、佐太の地に住まわれた事から佐陀地方一円の祖神として尊称されている。
延喜式内社。本殿は三殿並立の出雲造りにして国重要文化財社殿。
毎年11月20日から25日にとりおこなわれる神在祭(お忌さん)が有名。(5月20−25日は神在裏月祭)
昭和3年、国幣小社列格。出雲三大社(出雲大社・日御碕神社・佐太神社)のひとつ。
<神社由緒書・神社辞典参考>

公式サイト http://sadajinjya.jp/


佐太大社手前を流れる佐陀川

正面参道

境内正面

三社並立大社造り社殿社殿は国重文
右から北殿・正中殿・南殿

雨が降っていたので松江でサンライズ出雲号を下車したのが0940過ぎ。車中で考えていたプランを実行することにする。
まずは松江からバスで北上して佐太神社に赴く。
バスに乗って10時30分頃に最寄りのバス停に到着。宍道湖から北に流れる佐陀川にそった道すがらの「佐太神社前」バス停。佐陀川は宍道湖と日本海を結んでおり、用水路としても活用されているのだろう。小型のボートが川縁に立ち並ぶ家々とつながれており、のどかな川漁村といったところ。そこから橋を渡って300メートルほど歩むと神社が見えてくる。参道の脇には駐車場が広がる。さすがに車でないとアクセスがしにくい神社であった。

『佐太神社』は出雲熊野社にたいする出雲二の宮とされ国幣小社。正面から見ると出雲造りの社殿が三棟並ぶ壮観さに圧倒される。人の気配がしないなかで雨の日の朝、私はのんびりとゆっくりと出雲の神々の気配を堪能。
帰りの接続都合もあったので、11時過ぎのバスにのって一度、松江駅前に戻ってくる。

そうしたら駅前でなにやら号外新聞を配っていた1130過ぎ。
ちょっと貰ってみると「親王殿下ご生誕」の号外。旅先ゆえに昼頃に知るというちょっと出遅れな私。なにやらめでたい旅先。
ちょうどこのときの2006年9月6日に秋篠宮悠仁親王殿下様がご生誕されたわけでした。

号外をもらって今度は松江駅からバスに乗って南下する。降りるバス停は風土記の丘。出雲にきたら欠かせない大好きな行きたい神社があるのだ。
外は激しく豪雨であれど。



『神魂神社』(大庭大宮・県社)<朱印・意宇六社のひとつ・島根県松江市大庭鎮座>
  かもすじんじゃ

サイト初掲はこちら

祭神:
伊弉冊大神(イザナミ)
伊弉諾大神(イザナギ)

当社は大庭大宮ともいわれ、出雲国造の大祖である天穂日命が、ここに天降れて御創建され、伊弉冊大神を祀ったことにはじまるという。
出雲国造家が、当地にて祭祀を司ってきていたが、当社に関しては出雲風土記にも延喜式にも記載はされていない。大庭から杵築に国造家が移ったあとに神社としての創建した可能性もあり、創建としては平安中期ごろと推定することもできる。
当地は出雲国府国庁にほどちかく、古代出雲の中心地であり、出雲国造の本拠地でもあった。出雲国造は郡領兼務の禁令(すわなち政治と祭事の分離。延暦17年・798)が出るまでは大庭の地にいたと考えられ、出雲国造が杵築に移転しても大庭は重要な祭祀場として機能していた。
本殿は日本最古の出雲造(大社造)神殿であり、国宝指定。正平元年(1074)のものとされている。
また貴布禰稲荷両神社本殿も室町時代造営のもので国重要文化財に指定されている。
<神社由緒書・神社辞典参考>


神魂神社

神魂神社

神魂神社 石段

神魂神社 拝殿

神魂神社 社殿<国宝>

神魂神社 本殿<国宝>

神魂神社 本殿<国宝>

神魂神社 本殿<国宝>

貴布禰稲荷両神社本殿 国重文


ひと心地ついたら1200過ぎ。風土記の丘から400メートルほど西にすすむと『神魂神社』が鎮座している。国宝の本殿。意宇六社のひとつ。出雲の神社のなかでも出雲国造に関係する極めて重要な神社。旧社格は県社。
この雄大な出雲造り社殿を間近で見れるという感触が私は大好きであった。非常に濃厚な神意的空間を満喫する。大雨のなかで佇むのは私一人。お昼やすみかは知らないが神職さんすらいなくなっている空間。そんななかで時間を愉しむ。

13時。
「風土記の丘」のバス停から南にさらに進んで「八雲車庫」バス停へ。そこからさらにコミュニティーバスのようなものに乗り換える。
13時44分。熊野行きのバスに乗り込む。
そうして14時に「熊野大社」に到着。バスを乗り換えなくては行けない場所で、なかなかアクセスが難しい神社。ようやく来られた感が強い。
外は大雨なのは致し方がない。



『熊野大社』(朱印・出雲一の宮・延喜式内名神大社・国幣大社・意宇六社の一社・松江市八雲町熊野鎮座)

祭神:神祖熊野櫛御気野命(かむろきくまぬのみこと)

公式サイトには
伊射那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)
と記載有り
一説に素戔嗚尊ともいう。

延喜式内の名神大社。通称、熊野坐神社・熊野大社・熊野大神宮。
創建年代は明らかではないが、神代までさかのぼると推定。出雲族が祖神をまつった古社であり、出雲大社と同じく出雲国造が奉仕してきた。
古くは熊野山に鎮座。祭神とされる素戔嗚尊が八岐大蛇を退治したあとに奇稲田姫と宮をかまえた「須賀宮」の地と伝えられる。

出雲国一の宮。中世期以降は杵築大社(出雲大社)が著名となり一般大衆の信仰は出雲大社へと移ったが、熊野大社が武将等の崇敬がも篤かった。

一説に熊野大社元宮より紀州熊野に分霊したともされるが不詳。その後、二社形態となった際に「上の宮」に紀州熊野の神をまつっていたものともいわれている。

明治4(1871)に国幣中社列格。大正5年(1916)国幣大社に昇格。

例祭10月14日。翌15日の「鑽火祭」(亀太夫神事・熊野大社鑽火式)が特に有名。出雲大社宮司が当社鑽火殿に参向し「古伝新嘗祭」に使用する燧臼、燧杵を熊野大社宮司より受け取る神事。この出雲大社で使われる燧臼、燧杵を毎年熊野大社から授けることとなり、この授け渡す儀を「亀太夫神事」と呼称。
<神社由緒書・神社辞典・神まうで等参考>

公式サイト http://www.kumanotaisha.or.jp/


熊野大社 一の鳥居

熊野大社 二の鳥居

意宇川

神橋より

熊野大社 三の鳥居

熊野大社 神門

熊野大社 拝殿

熊野大社 拝殿

熊野大社 拝殿

熊野大社 鑽火殿

熊野大社 摂社:伊邪那美神社(式内社) と 熊野大社本殿

熊野大社本殿

熊野大社 摂社:稲田神社(式内社

境内地

『熊野神社 上の宮跡』

熊野大社は古代、意宇川の源流である熊野山(現在の天狗山)に鎮座しており、中世より里におり近世まで「上の宮」「下の宮」の二社祭祀形態であった。
上の宮の地には伊邪那美神社・事解男神社・速玉神社・五所神社・八所神社・久米神社等があり、背後の山は「御笠山」と呼称。
明治期に下の宮に遷座合祀し、当地は「上の宮跡」となった。
御笠山頂上付近には熊野大社元宮があった熊野山が拝せることができ遙拝所がもうけられている。


意宇川の向こうの「上の宮」跡地

熊野大社「上の宮」跡地

熊野大社「上の宮」伊邪那美神社跡地

御神木

熊野大社「上の宮」神社跡地

熊野大社「上の宮」速玉神社跡地ほか

『熊野大社』
出雲一の宮。かつては出雲大社以上の勢力を持っていたともいう延喜式の古社。国幣大社。
あいかわらず雨の降る中で、神社に拝する。さっそく拝殿脇に「親王殿下ご生誕」を奉祝する看板が出ていたのは、出雲の古社ならではか。雨ではあれど仕事が速いのに好感触。
雨が境内と木々をぬらし、それが一段と神々しさを増していた。雨であれど雨の雰囲気も良い気配。

南にあるという上の宮跡に赴いてみる。約10分。意宇川にそって歩くと杜がみえてくる。いまは跡地という事で整備がされており神々は祀られてはいない。けれども神がやどっていた空間としての雰囲気は存分に漂っていた。
この日は雨が降っていたので山頂への登山はしなかったが、登山道も整備されており御笠山遙拝所もあるという。是非次は赴いてみたいところであった。

帰りのバスも、熊野大社から八雲車庫を経由して松江駅へ。帰りのバスでは、熊野大社から乗り合わせた50歳過ぎのおじさんと談笑。神社詣での趣味で話題に花が咲く。埼玉の私が若輩ながらに大阪や出雲の神社を語るという奇妙な光景。おじさんは「学校の先生ですか」と尋ねるも、私はただの神社マニアです。はい。

松江駅に戻ってきて、今度はこの日の宿へ移動するためにバスに乗ってみる。今日はバス乗ってばかりの日。
そうして夕方の4時ぐらいにホテルにチェックインしたら、まだ日差しも残っていたので、カメラを片手に市内の神社を廻ってみる事にしよう。

松江市内は「その2」にて。



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