「神々の出雲を詣でる・六所真名井編」
<平成15年12月参拝・平成16年1月記>
1.「出雲へ」/「出雲大社」
2.「稲佐海岸へ」/「日御碕神社」
3.「八重垣神社」「神魂神社」
4.「六所神社」「真名井神社」
神魂神社をあとにしたのが、16時すぎ。「八雲立つ風土記の丘」を経由し、熊野大社へと向かう道路を横断する。時間的余裕があれば、もちろん出雲の熊野大社にも行きたいのだが、今回は素直にあきらめる。左手に田圃をながめながら、真名井神社の鎮座する茶臼山を臨む。ただ、そこに真名井神社があるとわかっていても、私は六所神社をめざしている。その六所神社はなかなか姿を現してくれなかった。
16時20分。ようやくにして国府跡に到着。国府跡の向こう側にこんもりと緑がしげる。間違いなくそこが神社だろう。
「六所神社」 (県社・出雲国総社)
<島根県松江市大草町鎮座>
祭神:
伊邪那岐命・伊邪那美命・天照皇大神・月夜見命・素盞鳴尊命・大己貴命
由緒
出雲国総社。出雲国庁に隣接する地に創建されたとされるが創建時期は不詳。平安期以降に国府機能が低下すると国府中心地にちかい現在地に移転。境内からは天平期の国衙跡が發掘されている。
大正14年に県社列格。
ちなみに六社とは熊野神社・佐久佐神社・揖夜神社・神魂神社・伊弉諾神社・八重垣神社という。
<境内案内・神社辞典参考>
とにかく慌ただしい。国府跡から神社にはいったために社殿後方に出てしまう。かなりばつが悪いので、一度正面の鳥居まで進んでから改めて拝す。私の胸の中は、なんとか総社にこれたという満足感でいっぱい。肩で息して神社に来るものではないよな、と実感しつつなんとか落ち着く。
さて最後の目的地。六所神社に向かっていた際に場所を確認していた神社。真名井神社まで一気にいかなくてはいけない。来た道を戻る。
国府跡を飛び跳ねる様に突きぬけて、あたりを見渡す。出雲の中心地であったこの場所で、四方を見渡す。出雲という言霊をかみしめるだけで、なにやら神が宿る気分。そんな空間自体が神々しかった。
国府跡から真名井神社方向を臨む |
国府跡と六所神社の森 |
16時30分過ぎ。真名井神社を正面にとらえる。もうわたしもくたくた。なんかマジで走っているのですけど。ただ夕日だけが心配。日が暮れる前になんとかしようと、それだけの一心。
「真名井神社」 (村社・式内社)
<島根県松江市山代町鎮座>
祭神:伊弉諾尊・天津彦根命
由緒
創建は不詳。延喜式に記載される古社。中世近世期には「伊弉諾社」と称されていたが、明治期に「真名井神社」に社号を復し村社列格。
現在の本殿は寛文2年(1662)とされ、内殿は正面を向いている。拝殿は昭和9年造営。
<神社由緒書参考>
真名井神社 |
真名井神社石段 |
正面 |
社殿 |
本殿 |
真名井(まない)神社境内社である末那為(まない)神社 |
あいかわらず慌てていた私も、真名井神社の石段を前にして落ち着く。もうあわてる必要はないのだから。
石段をのぼるとこじんまりとした平らかなる空間に、もうすっかりお馴染みになった大社造を垣間見る。しばらくは見ることのない大社造りを。
帰り道。すっかりあたたかい日差しを傾ける夕日にむかってあるく。一キロほどあるくと出雲国山代郷正倉跡を見聞して17時に大庭のバス停に到着。
あとは松江駅に戻り、さらに出雲空港にむかうだけ。日帰りゆえに最後まで慌ただしかった。
出雲の風雅にすっかりあてられていた。
朝8時に羽田を飛び立ち、9時30分に出雲空港到着。そして19時30分に出雲空港を飛び立ち20時45分に羽田に戻ってくるという、ある意味で贅沢な出雲路ではある。
当然の事として私はまた出雲に来るだろう。まだまだ出雲の神々とは接しきれていないから。
参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版
前に戻る
|