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イワレビコから神武天皇へ

 

以下は、日本書紀による


イワレビコ命(神武天皇、前述)は、ついに宿敵ナガスネヒコ前述)と対峙した。しかし連戦しても一向に勝てず、イワレビコ命は常に苦戦した。
そんな中、天は曇り、氷雨が降り出し始めた。その時、金色をした鵄(とび)が飛来し、イワレビコ命の弓に止まり照り輝いた。そのさまは、稲光(いなびかり)のようであり、ナガスネヒコの軍勢は目がくらみ、戦意を失ってしまった。
この勢いに乗りイワレビコ命は、かつて兄のイツセ命前述)を殺された憤りからナガスネヒコを殺そうとしたが、ナガスネヒコは使者を送ってきた。使者は「昔、天神の御子が天磐船に乗って天降ってきました。天神の御子である饒速日命(にぎはやひのみこと)は私の妹の登美夜毘売(とみやびめ)を妻として、御子の可美真手命(うましまでのみこと)をおうみになられました。私は饒速日命を君としてお仕えしております。天神の御子がなぜに二柱おいでになるのか、なぜにその上天神の御子は、他人の土地を奪おうとするのか、思うにあなた様はにせものでありましょう。」といった。イワレビコ命は天神の御子がいると聞いてとまどったが「お前が、君とする天神の子の証拠をみせよ。」というとナガスネヒコはニギハヤヒの天羽羽矢(あめのははや)と歩靫(かちゆき)とを示した。イワレビコ命も自らの天羽羽矢と歩靫をナガスネヒコに示すと、彼はそれに恐懼したが、まだ服従しようとはしなかった。

一方で、ニギハヤヒ命は、金色をした鵄がアマテラス大御神とタカギ神の神意であると感じ、天つ神の意向は自分ではなく、イワレビコ命にあると感じ、ナガスネヒコを殺し、衆を率いてイワレビコ命に帰順した。

 

饒速日命

にぎはやひのみこと

・旧事本紀には天火明尊(前述、ニニギ命の兄)のことであるというが定かではない
・イワレビコ命に帰順
・物部連(もののべむらじ)、穂積臣(ほづみのおみ)、婇臣(うねべのおみ)の祖

登美夜毘売

とみやひめ

・ナガスネヒコの妹。ニギハヤヒ命の妻

可美真手命

うましまでのみこと

・ニギハヤヒ命とトミヤヒメの御子

 

イワレビコ命はこうして、荒ぶるものどもを従えて、畝傍の橿原宮にお住まいになり、天皇として即位し天下をお治めになった。

 

 

      古事記では大伴氏と久米氏の祖が大いなる働きをしている。なかでも久米氏は大和平定のさいに多くの久米歌が登場する。たとえばナガスネヒコを討伐した際の「みつみつし 久米の子らが 垣下に 植えしはじかみ 口ひひく(ひりりと辛い) われは忘れじ 撃ちてし止まむ(撃ち果たさずにはおくものか)」の部分の歌は有名である。もっとも戦中標語としての「撃ちてし止まむ」が有名だが・・・。

      また「金」も功一級から功七級まであった「金鵄勲章」や「紀元二千六百年」の「金鵄輝く日本の、栄(はえ)ある光 身にうけて いまこそ祝え この朝(あした) 紀元は二千六百年 ああ 一億の胸はなる」という(引用長すぎ、歌ってしまった・・・)が有名だったりするが・・・。

 

 

 

やがて神武天皇は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を皇后にして三人の御子を生んだという。
このイスケヨリヒメは神の子といわれている。三島の湟咋(みぞくい)の娘、勢夜陀多良比売(せやだたたらひめ)の容貌が美しかったため、三輪の大物主神(大国主神前述))は一目で心を奪われて、その娘が便所で用を済まそうとした際に赤く塗った矢に姿を変えて、溝を伝って、その乙女の陰部をついてしまった。娘は驚きうろたえ、そしてその矢を拾って床に置いたところ、矢は立派な男の姿になって、そのまま乙女を娶った。そうして産まれた子がイスケヨリヒメであるという。

 

三島湟咋

みしまみぞくい

・摂津国溝咋神社(式内社)か?
・セヤダタタラヒメの父

勢夜陀多良比売

せやだたたらひめ

・大物主神(前述)に娶られる
・イスケヨリヒメの母

媛蹈鞴五十鈴媛命
(伊須気余理比売)

ひめたたらいすずひめのみこと
(いすけよりひめ)

・大国主神とセヤダタタラヒメの娘
・神武天皇皇后となる

日子八井命

ひこやいのみこと

・神武天皇と伊須気余理比売の御子

神八井耳命

かんやいみみのみこと

・神武天皇と伊須気余理比売の御子

神沼河耳命
(綏靖天皇)

かんぬなみみのみこと
(すいぜいてんのう)

・神武天皇と伊須気余理比売の御子
・第二代綏靖天皇となる

 

 

神武天皇は137歳まで生きたというが、その後皇位継承の争いが起きる。神武天皇にはもともと后として吾平津媛前述)がいて、その子に多芸志美美命前述)がいた。この皇子は神武天皇の東征にも従い活躍し、朝廷の政務を長い間執ってきた。しかし、このタギシミミ命は天皇となる威厳に欠けていたという。
タギシミミ命が皇位につけなかったわけに、母が皇后になれなかったのと同じ理由がある。すなわち九州の辺境の血であるというのが問題であった。
神武皇后であるイスケヨリヒメは神の子であるといわれる。その皇子たちこそが葦原中国の支配者にふさわしいと考えられていた。
タギシミミ命は神武天皇皇后であり義母であるイスケヨリヒメを妻として血筋を整え、皇位につき、三人の弟たちを殺そうとした。いかに殺すかはかりごとをめぐらしている間に、三皇子の母親でもあるイスケヨリヒメは悩み苦しんで、歌に想いを込めて、御子たちに火急を知らせた。
タギシミミ命の陰謀を歌から読みとった御子たちは、事の急に驚きタギシミミ命を殺そうとする。神八井耳命神沼河耳命が武器を取って殺そうと押し入るが、兄の神八井耳命は、手足がわなわなと震えてしまい殺すことが出来なかったので、弟の神沼河耳命が、兄から武器を受け取ってタギシミミ命を殺したのであった。
こうして神沼河耳命が第二代天皇である綏靖天皇となったという

 

 

      この神武天皇以降は急に上のような人間くさい話が多くなり、神話らしさがなくなってしまうため、今後このシリーズは気が向いたときに「部分抜粋」の形で有名な神様の話をすすめることにする。

 

 

 

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