2006年9月、出雲に行きたくなったので行ってきましたよ!
かみちゅ!「神々の出雲で聖地巡礼」編・その2
出雲方面の位置関係はこちらの地図で御確認を。
そんなわけで出雲大社。
かみちゅ!聖地巡礼、そして出雲大社そのものを。
「出雲大社」 (延喜式内名神大社・出雲国一の宮・官幣大社・国宝・いずもおおやしろ)
<朱印・島根県出雲市大社町杵築東>
<サイト初出>
主祭神:大国主神
本殿客座:天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・天之常立神
由緒
創建については「古事記」「日本書紀」の神世伝承が物語っている。すなわち、須佐之男命の神裔(御子神とも六世の孫神とも)であった大国主神は稲羽の白兎を救い、八十神や須佐之男命による試練を経て、スセリ比売命と結婚。その後、少名彦名命とともに国造りを行った。
やがて、天孫降臨(天照大神の御孫神=ニニギ尊)にあたり、国土を譲られて出雲の広大な宮殿に隠棲された。祭祀を司る者として天穂日命(天照大神の御子神)が大国主神のもとで奉仕し、その子孫が代々の出雲国造家(=千家・北島/現在、国造は84代を数える)として受け継がれてきた。
歴史も深く古代以来、中世近世の動向には枚挙のいとまがない。
一般には「大社」といえば出雲大社をしめし、「神宮」といえば伊勢神宮をさすほどに、最も著名な神社。
延喜式には杵築大社と記載される名神大社。別名として「天日隅宮」「天日栖宮」「所造天下大神之宮」とも記載されてきた。
明治四年に出雲大社に社名を改称するまでは、杵築大社と呼称されてきた。
拝殿前の銅鳥居(寛文6年・1666)は毛利綱広寄進
現在の拝殿は昭和34年再建
現存する本殿は延享元年(1744)造替。高さ八丈(24メートル)。
本殿後方の「八雲山」は神山にして禁足地である。
かみちゅ! 的 出雲大社の風景 |
「かみちゅ!」より 牛車が飛び抜ける参道 |
出雲大社参道。参道入口付近から一直線に本殿まで。
距離的には500メートルぐらいあります。ゆるやかな下り坂。 |
「かみちゅ!」より。拝殿前の鳥居。 |
拝殿前の銅鳥居(寛文6年・1666)は毛利綱広寄進
いよいよ出雲大社です
|
「かみちゅ!」より 。大しめ縄が象徴的。 |
拝殿の大しめ縄。
現実には不思議な方向にカメラを向けているともいう。 |
「かみちゅ!」より。 本殿後方の山から、ゆりえ様は「神々の国」へと。 |
出雲大社本殿(国宝)後方の「八雲山」。御神域の禁足地。
神奈備の神々しさにあふれる景観です。 |
出雲大社
出雲大社大鳥居
大正4年建立時には日本一の大鳥居であった |
出雲大社一之鳥居。社頭前は工事中。
平成の大遷宮(仮殿遷座を平成20年、本殿遷座を平成25年に予定) |
一之鳥居からは下り坂の参道。 |
第二鳥居を向こうに。参道は一直線に伸びる。 |
第三鳥居。 |
拝殿。昭和34年再建。拝殿脇では親王殿下御生誕を祝して御記帳。 |
拝殿と本殿と、巫女さん。質朴の社殿に、朱袴が映える。 |
境内には鳩も多し。 |
八足門。普段はここから先には入れません。
ちなみに出雲大社は「二拝四拍手一拝」です。 |
本殿。
|
奧から本殿(国宝)・御向社・天前社
|
本殿正面は南向き。本殿内部で御神座は西向き。
つまりこの位置が御神座正面。手前社殿は筑紫社。 |
東西十九社は「神在月」の際に全国の神様の御宿となる。 |
素鵞社は本殿後方に鎮座。須佐之男尊を祀る摂社。 |
本殿後方の八雲山は禁足地。 |
この日(9/7)の出雲大社では親王殿下御生誕を記念して
御記帳と紅白餅を配布していました。 |
この日は午前中を出雲大社。午後を一畑電車というわかりやすい一日。
なにやら平成20年から、大遷宮がおこなわれるらしく、恐らくは本殿の修復工事等を伴う規模と想像できることから、出雲大社には早めに参拝するのをオススメ。
天気はあいにくの空ではあったが、出雲の神々と接すると、やはり改めて「神社熱」が沸き立つようでもある。しばらくは忙しく神社に詣でることが無い日々が続いていたけれども、そろそろ心にゆとりを持ちたい気分。
やはり、出雲は特別です。
今回は「かみちゅ!」ネタを含んでいますが、それはそれとして、大真面目に出雲大社に拝して、心がリフレッシュ出来ました。
作中のキャプチャー写真は、気配を楽しんでいただくために使用致しました。
問題がありましたら、対応しますのでメールにてお問い合せ下さい。
なお版権を侵害する悪意ある意図では使用はしておりません。ご理解下さい。
ベサメムーチョ/アニプレックス・「かみちゅ!」
|