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久米歌など

 

この段はおまけ的なもの。神武天皇(イワレビコ命・前述とその周辺にはいわゆる「久米歌」が多く、そのまま無視するのも忍びないし、歌による味わいもあるので、ここで歌を掲載。なお、『古事記』 新編日本古典文学全集1 小学館 1997年6月の山田佳紀氏・神野志隆光氏の校注・訳による。

(前段の続き)
久米歌六首
オトウカシが奉った御馳走を軍勢に与え、イワレビコ命がお歌いになった歌。(戦勝の喜びを分かち合い、次の戦に供えて闘志を高める哄笑の歌)


宇陀の 高城に 鴫(しぎ)罠張る 我が待つや 鴫は障(さや)らず いすくはし 鯨障る 
前妻(こなみ)が 肴乞(なこ)はさば 立ち蕎麦の 実の無けくを こきし削ゑね 
後妻(うはなり)が 肴乞はさば 厳榊(いちさかき) 実の多けくを こきだ削ゑね
ええしやごしや
ああしやごしや

     宇陀の高く構えた砦に鴫を捕る罠をしかける私が待っている鴫はかからず、なんと鯨がかかる。前妻がおかずを欲しがったら、ソバの実の少ないところをたくさんそぎ取ってやれ。後妻がおかずを欲しがったら、厳榊の実の多いところをたくさんそぎ取ってやれ。エー、この野郎め(これは敵意を浴びせかけ)、アーこの野郎め(これは笑いたおして)

 

イワレビコ命の軍勢は吉野・宇陀から忍坂の大室(桜井)に到達する。そこには土蜘蛛(土雲)と呼ばれるたくさんの猛者たちがいたがイワレビコ命は同数の料理人に太刀を持たせて一人一人を饗応しながら歌を聞いたら切れ、と言い含めて歌うと同時に討伐をした。

 

忍坂(おさか)の 大室屋(おほむろや)に 人多(ひとさは)に 来入り居り 人多に 入り居りとも
厳々(みつみつ)し 久米の子が 頭槌(くぶつつ)い 石槌(いしつつ)い持ち 撃ちてし止まむ
厳々し 久米の子らが 頭槌い 石槌い持ち 今撃たば宜し

     忍坂の大きな室屋の中に人がたくさん来ている。人がたくさん入っていても、勢い盛んな久米部の者たちの頭槌・石槌を持って、敵を撃たずにはおくものか。勢い盛んな久米部の者たちの頭槌・石槌を持ち、今撃てばよいぞ

 

ナガスネヒコ(トミビコ)をうち倒そうとした際にイワレビコ命がお歌いになった歌

 

厳々し 久米の子らが 粟生(あはふ)には 香韮一本(かみらひともと) 其(そ)ねが本(もと) 其ね芽認(つな)ぎて 撃ちてし止まむ

     勢い盛んな久米部の者たちの粟畑には、匂いの強い韮が一本生えている。その根やその芽を探し求めるように、敵を探し出して、撃たずにはおくものか。

 

厳々し 久米の子らが 垣本に 植ゑし山椒(はじかみ) 口痒(くちひひ)く 吾は忘れじ  撃ちてし止まむ

     勢い盛んな久米部の者たちが垣のところに植えた山椒を食べると口がひりひりする。そのように私は復讐の思いを忘れまい。撃たずにはおくものか。

 

神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 大石に 這い廻ろふ 細螺(しただみ)の い這い廻り 撃ちてし止まむ

     (神風の・枕詞)伊勢の海の大石を這い回っている細螺のように、這い回って敵を撃たずにはおくものか。

 

また、エシキ・オトシキを撃とうとし、軍勢が疲れてしまった際にお歌いになった歌

 

楯並(たたな)めて 伊那佐(いなさ)の山の 木の間よも い行き目守(まも)らひ 戦へば 
吾はや飢(ゑ)ぬ 島つ鳥 鵜養(うかひ)が伴(とも) 今助けに来(こ)ね

     (楯並めて・枕詞)伊那佐の山の木の間を通って、見張りながら戦っていると、私はいよいよ腹が減ってしまった。(島つ鳥)鵜飼いの伴よ、今すぐ助けにきてくれ。

 

 

皇后候補を捜していた神武天皇と大久米命前述とイスケヨリヒメ前述のやりとり。

七人の乙女を見かけて、久米命が天皇に申し上げる歌

倭(やまと)の 高佐土野(たかさじの)を 七行く 媛女(をとめ)ども 誰をし娶(ま)かむ

     大和の高佐土野を七人で行く乙女たち。その中のだれを妻としましょうか。

 

天皇は先頭に立っていたイスケヨリヒメを大いに気に入り

かつがつも 弥前(いやさき)立てる 兄をし娶かむ

     とりあえず真っ先に立って歩いている年上の乙女を妻にしよう

 

大久米命が天皇の御言葉をイスケヨリヒメに伝えると、イスケヨリヒメは大久米命の鋭い目に驚いて

 あめ鶺鴒(つつ) 千鳥真鵐(ちどりしとと) など黥(さ)ける利目(とめ)

     黄鶺鴒や千鳥や鵐のように、どうして目に入れ墨をしているのですか

 

そこで大久米命がそれに答えて

 媛女に 直に逢はむと 我が裂ける利目

     娘さんにじかに逢おうとして、私は目を鋭く見開いているのです

 

すると乙女(イスケヨリヒメ)は「お仕えいたしましょう」と申し上げたという。

 

 

この段の最後に
タギシミミ命(前述)が三人の弟たちを殺そうとしているときに

皇后イスケヨリヒメが悩み苦しんで、御子たちに火急を知らせた際の歌。

 

狭井河(さゐがは)よ 雲立ち渡り 畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす

     狭井河から雲が広がり、畝傍山の木の葉がざわざわと音を立てはじめた。 風が吹こうとしている

 

畝火山 昼は雲揺ゐ 夕されば 風吹かむとそ 木の葉さやげる

     畝傍山は、昼は雲が揺れ動き、夕方になると風が吹く前触れとして、木の葉がざわざわと音を立てている

 

とお歌いになり、皇子が危機をさとった。

 

他にも古事記に登場する歌は多数あるが、ひとまずは話を進めたい。

 

 

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