「郷土の鎮守様〜世田谷区西部の神社散歩」
<平成22年7月参拝記載/8月記載>
01.「給田ノ六所神社」 (旧村社・世田谷区給田)
02.「上祖師谷ノ神明神社」(旧村社・世田谷区上祖師谷)
03.「粕谷ノ八幡神社」 (旧村社・世田谷区粕谷)
04.「八幡山ノ八幡神社」 (旧村社・世田谷区八幡山)
05.「船橋ノ神明神社」 (旧村社・世田谷区船橋)
06.「廻沢稲荷神社」 (世田谷区千歳台)
07.「祖師谷ノ神明神社」 (旧村社・世田谷区祖師谷)
08.「砧ノ三峰神社」 (世田谷区砧)
09.「宇山稲荷神社」 (旧無格社・世田谷区桜丘)
10.「稲荷森稲荷神社」 (単立神社・世田谷区桜丘)
11.「経堂ノ天祖神社」 (旧村社・世田谷区経堂)
神社地図:世田谷区の神社地図
以下、世田谷の神社関連
「郷土の鎮守様〜狛江・世田谷喜多見周辺の神社散歩」
「郷土の鎮守様 世田谷・杉並の神社散歩〜京王線沿線の神社編〜」
「給田ノ六所神社」<旧村社・世田谷区給田鎮座>
御祭神:大国魂大神
小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神 (武蔵国六宮の大神)
天照大神
創立年代は不詳。往古、府中大国魂神社の分霊を勧請して鎮座。天文年間(1532−54)の創建ともいわれる。
明治6年、村社列格。
明治42年に無格社神明神社(給田850番地)合祀
平成3年、社殿改築。
7月のとある日曜日。天と踏んでいたら急に晴れてきたので思い立っての神社散歩。今回は自宅からの自転車神社散歩。
30分ぐらい自転車を漕いで10時40分、最初の目的地に到着。
京王線仙川駅から東に1キロほど行ったところ。それこそ仙川の南岸に鎮座している。
社殿は北面。仙川の方を向いて鎮座している。武蔵国総社大国魂神社の分霊。旧社格は村社。
雨上がりの異常に蒸しているなかでも神社の中では気持ちの良い風が通り抜ける。緑の色彩が美しく、ついついぼーっとくつろいでしまう。
「上祖師谷ノ神明神社」<旧村社・世田谷区上祖師谷>
御祭神:天照皇大神
相殿神:倉稲魂命
創建年代・由緒不明。境内には享和元年(1801)建立の灯篭があることから江戸期にはすでに崇敬をあつめていたことがわかる。
明治6年村社列格。
昭和42年0に社殿改築。
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大正9年建立 |
大正9年建立 |
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稲荷社 秋葉社 |
三峰社 諏訪社 厳島社 |
11時10分。
六所神社より南東に下って約1.2キロ。都道118号線の南側。仙川の西側に鎮座し、近くは「祖師谷公園」として整備もされている。
社殿は東面。やはり仙川の方向を向いて鎮座している。
広い境内。
最初は脇から入ってしまい、緑が少ないなあ、と思っていたら参道の手前は豊かな緑に包まれていた。たまたま足を踏み入れた脇参道が直射日光の降り注ぐ空間だったようだ。
改めて、正面から。
鎮座地は高台。斜面には「つつじの庭園」があり、綺麗に整備がされている。参道の先には太陽の光によって輝くばかりに眩しい「白い社殿」。白い神明宮というのはなかなか珍しい。
「粕谷ノ八幡神社」<旧村社・世田谷区粕谷>
御祭神:誉田別命(応神天皇)
創建由緒は不明。開村当時からの鎮守とされている。
明治6年村社列格。
昭和34年3月に放火によって社殿全焼。同年12月に社殿再建。
社頭にあった「わかれの杉」は徳富蘆花(本名 徳富健次郎)ゆかりとされる。
明治大正期の文豪、徳富蘆花は明治40年2月に世田谷粕谷に住居を定めた。
蘆花は彼を訪ねて帰る人をいつもこの粕谷八幡神社の入口の杉まで見送っていたという。ここでの別れが死別になったことが二度三度とあり、また生きていたとしても再会するかどうかわからなかったゆえに、蘆花は著書「みみずのたはごと」の中で、この杉を「わかれの杉」と名づけた。
「わかれの杉」は蘆花だけのものではなく大戦中に兵士たちが武運長久を氏神の八幡神社に祈願し、この杉の下で郷土の人々と別れたこともあり粕谷の人々にとっても縁深かった。
初代の「わかれの杉」は大東亜戦争後に枯れてしまい、幹を3メートルほど残して切断されたが、その名を惜しんで現在は2代目の杉の木が植えられている。
現在は蘆花恒春園(徳富蘆花旧宅)が神社隣に整備されている。
11時40分。
一気に東に移動して「芦花公園」近くに鎮座する粕谷八幡神社へ。
京王線の芦花公園駅から南下して約1.5キロ。芦花公園の北側に東を向いて鎮座している。
御神木が悠然と枝を伸ばしていて、何事かを感じてしまうようなそんな不思議な空間。奥の摂社の静まる空間は、本社とはまた違って落ち着く場所。
粕谷八幡神社隣の芦花公園からはジャズっぽい音楽が流れていて、そこには芝生があって昼寝してたり、ファミリーがくつろいでいたり。ついつい居心地が良くて私も御神木をぼーっと眺めながら長居してしまった。
「八幡山ノ八幡神社」<旧村社・世田谷区八幡山>
御祭神:誉田別命
相殿神:倉稲魂命
創建年代は不詳。新殿に奉斎されている奥宮には文化7年(1810)の記銘あり。境内の狛犬は元治元年(1864)記銘。
明治4年10月に村社列格。
明治42年3月6日、稲荷社を合祀。
昭和47年11月3日、社殿新築。
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元治元年(1864)記銘の狛犬 |
元治元年(1864)記銘の狛犬 |
12時10分。
八幡山の八幡神社到着。粕谷八幡からは東に約1キロ。社殿は南面している。社殿は明るく太陽がさんさんと照り注いでいた。
本殿の両脇に鳥居が縦向きに並んでいるのは古い狛犬の置き場所を工面した結果なのだろうか。あまり見かけないレイアウト。それでいて「これもアリ」な気がしてしまった。
「船橋ノ神明神社」<旧村社・世田谷区舟橋>
御祭神:天照皇大神
相殿神:倉稲魂命・天児屋根命
創建年代・由緒は不明。境内には天保10年(1839)建立の石鳥居が残る。
明治6年に村社列格。
もと社殿は対象15年3月に改築し、昭和40年8月に屋根を銅板葺にしたものであった。
平成2年3月19日未明、過激派ゲリラの時限発火装置によって放火され炎上全焼。
平成4年7月2日に社殿再建。大鳥居は平成19年9月建立。
12時30分。船橋の神明神社。
八幡山の八幡神社から南南西に約600メートル。世田谷区立船橋小学校の北側に鎮座。社殿は東面している。
境内に掲げてある由緒書をよんで思わず絶句してしまう。
「平成2年3月19日未明に過激派ゲリラの時限発火装置よって全焼してしまい、平成4年新造」とある。
えっ。過激派ゲリラの時限発火装置などという物騒な文字を御由緒でみることになるとは。
なにがあったかはよくわからないが、神社が爆破されるということはかなり尋常ではない事件だ。
当社の参道は都内で珍しくクロマツが林立している。クロマツに覆われる参道は、そんな爆破ということとは無縁で、風情ある環境。
いまでこそ、こうしてのんびりとした鎮守の杜を楽しむことができるのはありがたいことであった。
「廻沢稲荷神社」<世田谷区千歳台>
御祭神:倉稲魂神(宇迦能御魂命)
創建年代・由緒等不明。
昭和23年に祖霊社を建立。
昭和38年に社務所・神楽殿を建設。
13時。
環八通りの東西を行ったりきたりしつつ。船橋の神明神社から約1キロ北東に進むと廻沢稲荷神社が鎮座。
神社は東面している。
参道は隣のお宅の庭にもなっているようで、花々の彩が豊か。色彩美で視的に癒される。
50メートルほどの参道の突き当たりに社殿。社殿前は広場として活用できる程よい空間が広がっていた。
「祖師谷ノ神明神社」<旧村社・世田谷区祖師谷鎮座>
御祭神:天照皇大神
創建年代は不詳。
古老の口碑によると正平年間(1346−69)に新田義興・義宗兄弟等が足利尊氏討伐の挙兵をしこの地に来た際に小祠があるのを見て、祭神の何たるかを聞き、天照皇大神であるのを知り、新田兄弟は吾が「吾が憩いたるは皇祖の吾を助くるものなり」として戦勝を祈願し甲冑一式を献じ兵を励まして出発したと伝承されている。
明治社格では村社列格。
昭和23年、祖霊社を建立。
昭和38年、神楽殿・社務所を建設し、社殿屋根銅板葺替工事を完了。
廻沢稲荷神社からしばらく南下する。
13時30分。
「ウルトラマン商店街」と呼称される通りを南下する。ウルトラマン商店街の突き当りには円谷プロと東宝スタジオ。なるほどといったところか。
参道は50メートルほどあり、社殿は南面。
暑さに負けて自然と涼みに来たような気分になる。さすがに境内は涼しい。適宜に神社で休息をとりながら回れるのは、リズム的にも好ましい環境だ。
「砧ノ三峯神社」<世田谷区砧>
御祭神:伊弉諾尊・伊弉諾尊
創建年代・由緒等不詳。
武蔵国秩父の三峰神社社務所が発行した宝暦年間(1751−63)・安政年間(1854−59)・文久年間(1861−63)等の代参帖・寄付金額収書が残っており、江戸時代中期に秩父三峰神社を勧請したものとされている。
昭和37年、社殿新築。あわせて社前に三峰神社の使いとされる狼像が寄進されている。
祖師谷の神明社から一気に1.5キロほどを南下。小田急線の線路を越えて、祖師ヶ谷大蔵駅の南側へ。
13時50分。三峯神社。社殿は南面。
このあたりで規模の大きな三峯神社とは珍しい気がする。
三峰講が村鎮守まで規模拡張をしたらしい。三峰講の流行を感じ取れる貴重な存在。ほとんどの三峰神社はどこかの末社になっていて、このようになかなか単体で存在感を出してはいないイメージ。
さらにはきちんと狼像が控えているのも好感触。
「宇山稲荷神社」(西向稲荷)<旧無格社・世田谷区桜丘>
(うざんいなり神社)
御祭神:宇迦之御魂神
新編武蔵風土記稿の荏原郡の部に「宇奈根山谷村の西隅にあり」と記載される古社。社名の「宇山」は宇奈根山谷が略されたものとされる。
明治社格は無格社。
明治42年6月12日、合祀令によって郷社宇佐神社(現在の世田谷八幡宮)に形式上合祀されている。
戦後の昭和22年に改めて設立され、神社本庁所属となる。
平成4年に社殿再建。
三峯神社から東に約1キロ。何度目かの環八通りを横断する。
14時10分。社殿は西面している。
社頭の由緒をみると、一度は世田谷八幡宮に合祀されたとある。戦後にこうして復活祭祀されるというのはそれだけ地域での信仰が篤かったという証。明治の神社合祀の弊害を垣間見ることができる存在でもある。
「稲荷森稲荷神社」<単立神社・世田谷区桜丘>
(いなりもりいなりじんじゃ・とうかもりいなりじんじゃ)
御祭神:宇迦之御魂神(倉稲魂命)
創建年代は不詳。
古くは「菅刈社」と古書されており新編武蔵風土記稿には「地名を冠する古社」と表現されている。(当時は菅刈庄と称されていた)
昭和45年社殿改築。
公式サイト http://www.h4.dion.ne.jp/~inari/gosaijin.html
14時30分。
小田急線千歳船橋駅に向かう。駅のすぐ南、それこそ50メートルも駅から離れていない場所に「稲荷森稲荷神社」が鎮座。これだけ開発の進んだ環境の中で毅然と神社空間が維持されているのは共感に値できる。千歳船橋の駅前商店街のまっただ中に鎮座。駅前であれど緑豊かな空間は貴重。公孫樹の御神木が立派なたたずまい。単立神社であるとはいうが、そこは神社庁所属であろうがなかろうが、神社空間の伝統という意味では大差はない。
「経堂ノ天祖神社」(伊勢宮)<旧村社・世田谷区経堂>
御祭神:天照大御神・稲荷大神(宇迦御魂神)・北野大神(菅原道真公)
創建年代は不詳。伝承では永正4年(1507)創立ともされている。
明治社格では村社列格。
明治40年10月に稲荷神社・北野神社を合祀。
昭和51年社殿再建。
14時45分。
千歳船橋駅より北東に約500メートル。小田急線の線路の北側に鎮座。社殿は東面している。
深い緑の境内は子供たちの遊び場となっていた。ちょうど訪れたときはワールドカップサッカーの真っ最中。なぜかアルゼンチンやオランダのサッカー代表ユニフォームを着た子供たちが竹鉄砲を打ちながら走り回っている光景は、ある意味貴重かもしれない。
さて今回の神社参拝はこれにて終了。世田谷区の神社散歩は中心部に向けて次に続く予定。
参考文献等
各神社境内の案内板等
東京都神社名鑑
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