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四道将軍の派遣と建波邇安王の反乱

 

崇神天皇前述)は「民を導く根本は教化することにある。今すでに天神地祇を崇敬して、災害は皆消え失せた。しかし辺境の人々はなお臣従していない。そこで四方に群卿たちを選んで、我が教えを知らしめよ」と仰せられた。(書紀による)
そこで大毘古命(おおびこのみこと=孝元天皇皇子・前述)を北陸道(越国)につかわし、建沼河別命(たけぬまかわのわけのみこと=大毘古命の子・前述)を東海道(服従したのは相模までか?景行皇子ヤマトタケルが以東を平定しているため)、また吉備津日子命(きびつひこのみこと=孝霊天皇皇子・前述)を西道(山陽道、吉備)に遣わし日子坐王(ひこいますのみこ=開化天皇皇子・前述)を山陰道(丹波)に遣わされ、四人の者に印綬を与えて将軍に任命した。
なかでも日子坐王は丹波に赴き従わない玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ・伝不詳)を討伐した。

 

 

大毘古命が高志国(こしのくに=越)に下っていった際に、途中の山城幣羅坂(京都・幣羅坂神社)である乙女が歌っていた。

御真木入日子はや 御真木入日子はや 己が緒を 盗み殺せむと 
後つ戸よ い行き違ひ 前つ戸よ い行き違ひ 窺はく 知らにと 御真木入日子はや

御真木入日子よ、御真木入日子よ。自分の命をこっそり奪おうとする者が、
裏門からこっそり行き違い、表門からこっそり行き違うのも知らないで。御真木入日子よ。

 

大毘古命が不審に思って乙女に「お前が口にした言葉は何を意味するのだ」と問うたが、乙女は「私は何もいったりしておりません。ただ歌を歌おうとしただけです。」と言うとあっというまに行方が知れなくなった。
大毘古命は再び都に戻り、このことを天皇に申し上げると、天皇は「これは山城国の異母兄である建波邇安王(たけはにやすのみこ=孝元天皇皇子・前述)が反乱を起こしたに違いない。伯父よ、軍勢を整えて討伐にいかれよ」と仰せられ日子国夫玖命(ひこくにぶくのみこと=和邇臣の祖=日子国意祁都命の縁者か?・前述)を副えて派遣した。

 

      書記では倭迹迹日百襲姫命前述が歌の意味を見抜いている。さらには建波邇安王とその妻である吾田媛(あたひめ・古事記には記載なし)が共謀して反乱を起こしたとし、大坂の吾田媛を西に向かう途中の吉備津彦が討ち、山城の建波邇安王を北に向かう大毘古命が討っている。

 

 

そうして山城の和訶羅川(木津川)を挟んで向かい合い、互いに戦いを挑み合った。日子国夫玖命が建波邇安王に「そちらから忌み清めた矢を放つのが良かろう(矢合わせの矢)」と言った。そこで建波邇安王が矢を放ったが、相手に当てることが出来なかった。一方、日子国夫玖命が矢を放つとまっすぐに建波邇安王を射て、死んでしまった。大将を失った軍勢は総崩れとなり、逃げる軍勢をうち破り平定を終えた大毘古命は天皇のもとに復命し、再度北陸にくだっていった。

 

北陸に派遣された大毘古命と東海に派遣されていた大毘古命の子である建沼河別命は、今の会津で行き会ったという。(だからこの地を会津という)
こうして、各地方は平定され大いにやすらぎ、富み栄えたという。そこで初めて男の狩猟の獲物や女が作った糸や織物を献上させたという。(貢納の制度)
そこで、この崇神天皇をたたえて「初国を知らす御真木天皇」と呼んだという。

 

 

      書記では皇太子を決める話がある

      崇神天皇は皇子の豊城命(とよきのみこと・前述)と活目尊(いくめのみこと・前述)を呼び「お前達二人の皇子への私の慈愛はまったく同じである。どちらを皇太子に立てたらよいかを決めかねている。そこで各々夢をみるがよい。私はその夢で占うことにしよう」と仰せられた。
二人の皇子は天皇の命をうけ、沐浴して身を清めた上で、それぞれ夢をみた。
翌日、兄の豊城命は「自ら御諸山(三輪山)に登り、東方に向かって八回槍を突きだし、八回矛を突きだし、八回刀を打ち振りました」と申し上げた。
弟の活目尊は「自ら御諸山の嶺に登り、縄を四方に引き渡し、粟を食べていた雀を追い払いました」と申し上げた。
崇神天皇は夢占いをなされて「兄は東方にだけ向いていた。だから東国を治めるがよい。弟は四方に臨んでいた。まさに私の跡を継ぐのに相応しい」と仰せられた。
そこで活目尊を皇太子に立て、豊城命は東国を治められた。それが上毛野君(かみつけのきみ)、下毛野君(しもつけのきみ)の始祖であるという。

 

      また書記には出雲の神宝が献上された話や任那国が朝貢してきた話等がある。これらの話は古事記には記載されていない。

 

      この段では人物紹介をするほどの記事もないので省略する。文中に書いた以上のことは特にないので・・・

 

 

 

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