「秩父の古社巡り・その2」
<平成16年10月>
その1「三峯神社」
その2「今宮神社」「秩父神社」
その3「吉田ノ椋神社」「野巻ノ椋神社」「皆野ノ椋神社」
三峯神社からの続き。
12時40分に御花畑駅着。御花畑駅から歩むと北西に約500メートル。12時45分に社頭前に到着。
「今宮神社」<今宮坊>
(埼玉県秩父市中町鎮座)
祭神:
伊邪那岐神・伊邪那美神・須佐之男命・八大龍王神・他
奈良時代より龍神池と言われる霊泉があり、ここに伊邪那岐・伊邪那美の二神が祀られていたことにはじまる。
大宝年間(701〜704)、役行者(役小角)が飛来し修験道をひろめ、この地に宮中八神と、観音菩薩の守護神である八大龍王を合祀。
以後、明治維新まで『八大宮』と称されてきた。
825年には弘法大師が大日如来を奉斎。
次いで大宮山満光寺、長岳山正覚院金剛寺が建てられ、長歴2年(1038)には、二つの観音堂(現在の札所十四番今宮坊観音堂及び札所二十八番橋立寺観音堂)も建立。
天文4年(1535)に京都今宮社から須佐之男神を勧進し、今宮神社が創建。近世期には『長岳山今宮坊』として秩父を代表する霊場となる。
明治維新後に神仏分離し、修験道は配祀。今宮坊は解体され、今宮神社・八大宮と今宮観音堂(現秩父札所十四番)、橋立観音堂(現秩父札所二十八番)に分離。
戦後、昭和二十年代より平成五年までの約五十年間、御神域を児童公園に開放。
平成四年を以て神社活動を再開。
<参考・公式サイト>
境内入口 |
境内 |
本殿仮殿 |
竜神木と呼ばれる大ケヤキ |
足を踏み入れたとたんに、不思議な感覚を抱く。正直に言って、なにやらいつもの神社と感覚が違う。ちょっとした違和感を抱く。「ケヤキの大木」はがあり、そのうしろに「今宮神社御本殿建築予定地」とある。そして、ちいさな社殿がその向こうに鎮座。
どうやら、神社として、かなり違和感を感じたのはこのあたりらしい。境内の案内看板を読むと、神社活動という意味でも最近らしく、そういうなにやら不思議な感じを抱きつつけて私は境内を散策し、もっぱら「大ケヤキ」の見聞に時間を割いて、次の目的地たる秩父神社へと赴く。
今宮神社からは、北東へ約400メートル。歩み始めれば、13時ちょうどに社頭に到着。
「秩父神社」
<国幣小社・武蔵国四の宮・延喜式内社・秩父地方総鎮守・秩父妙見宮>
(埼玉県秩父市馬場町鎮座・朱印)
御祭神
知知夫彦命(ちちぶひこのみこと・知知夫国造)
八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと=妙見様)
秩父宮雍仁親王( 昭和天皇の弟宮)
崇神天皇(約2000年前)期に知知夫国造であった知知夫彦命が、祖神である八意思兼命を祀ったことに始まるという。
この地域の祭祀集団は知知夫氏を名とする豪族と考えて良い。和銅献上以来、朝廷とは深い関係にあり、秩父神社の神階は同時期の明神大社である氷川神社・金鑽神社よりも上であったという。知知夫国が武蔵国に併合されても秩父郡及び秩父神社は相当な勢力を有していた。
しかし延喜式以来明治期までは「秩父神社」の名前は歴史に現れず、かわって「秩父妙見社」が中心となっていた。妙見社は平将門の乱の際に平国香に味方した平良文が妙見菩薩の加護を得て将門をうち破ったことから、平良文が後年、秩父に居を構えたときに妙見を秩父神社の北東に勧進したことに始まる。のちに秩父平氏とよばれる武士団によって信仰されてきた。
永禄12年(1569)に武田信玄の秩父侵攻によって郡内の有力神社はすべて焼失。そののち天正20年(1592)に徳川家康によって現在の「秩父神社社殿」(妙見社を中心として)の形が再興。社殿装飾には左甚五郎の色彩豊かな彫刻が施されており「つなぎ龍」「子育ての虎」がみられる。
明治維新後に再び「秩父神社」と号している。
昭和28年に秩父宮殿下が合祀されている。昭和41年に台風によって損傷。解体復元し昭和45年に竣成している。
また毎年12月2・3日に行われる「秩父夜祭」は秩父神社の例大祭として300年以上の歴史がある。京都祇園祭・飛騨高山祭と並んで日本三大曳山祭のひとつに数えられ毎年20万人の観光客が訪れるという。
そもそもは、秩父神社の女神である妙見様が武甲山の男神と御旅所と呼ばれる場所で逢い引きするといわれ、庶民にとっては蚕の出来が良くなるように願う祭である。
秩父神社社頭 |
神門 |
拝殿 |
拝殿 |
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拝殿本殿には、極彩色豊かな彫刻が掘られている。 |
左甚五郎作・子育て虎 |
瓢箪から駒 |
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お元気三猿
「よく見、よく聞き、よく話そう」の三猿 |
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北辰の梟
身体は本殿を向いているが、顔は正反対の北をむいているフクロウ
妙見信仰の北辰北斗星と関係が深い瑞鳥とされる
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左甚五郎作「つなぎの龍」
鎖でつながれた龍は秩父の伝説に基づく。
秩父札所15番少林寺の池に住みついた龍が暴れた時に、
必ずこの「彫り物の龍」の下が濡れていたことから、
鎖で止めたところ、龍が暴れ出ることがなくなったという。
本社東北の表鬼門を守護する青龍
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秩父神社を訪れるのは、二回目。もっともはじめて訪れた時は3年前。そのころは神社知識も浅く、ただただ鉄道に乗りまくるついでに訪れた感じであった。その時の参拝時間は8時前ということで、人気もなかったが、今回は昼13時。さすがに人の気配はある。
社務所で朱印を頂戴し、いっそうに殊更に、社殿をぐるぐると回り巡る。この秩父神社の社殿彫刻を眺めるのを楽しみにしていたのだ。三峯の社殿に見惚れ、とって返して秩父の社殿に見惚れる。なんとも贅沢な神社巡りでもあった。彫刻のダイナミックで雄大な構図と、神社の感覚が絶妙にマッチしており、私はこの気配が大好きだ。
秩父神社をあとにして、秩父鉄道秩父駅に赴くと嫌な音が聞こえる。まさしく電車の発車音。どうやら発車したばかりのようだ。時間計算を一切していなかった私は、ここで見事に挫折。
どうやら30分ほど待たないと次の電車がやってこない。秩父鉄道ゆえののんびりだが、電車が来ないのはしょうがない。待ち時間でもう一度、秩父神社を眺めに行く。秩父駅からは100メートルほどしか離れていないので、それもまた良しではある。
予定通りかどうかはわからないが、14時すぎの秩父鉄道に乗り込んで、14時15分に皆野駅に到着する。
本当なら「長瀞」まで行って秩父三社の「宝登山神社」に赴くのが正しい「秩父の神社巡り」なのだろうが、私はここで式内社もうでとして「椋神社」にいかなかればいけなかった。ゆえに、宝登山神社をあきらめて「皆野駅」で下車をする。
参考
三峯神社由緒書き及び境内案内看板
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・11埼玉県
郷土資料事典・11埼玉県・人文社
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