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「いつきまつる島・安芸詣で」
<平成16年3月参拝・平成16年3月記>


1.「いつきまつる島へ」/「厳島神社」

2.「宮島散策(清盛神社大元神社多宝塔・五重塔・千畳閣)」

3.「速谷神社」/「多家神社」

4.「広島護國神社」/「広島城」



厳島神社の眺めながら、水縁を歩む。潮を感じる松原のなかにぽつりと社殿があった。この社殿が「清盛神社」。平清盛という巨大すぎる存在が愛した厳島宮島の地に、今は静かに佇む。観光客もまばらな松原、歴史好きな興味本位で訪れる気まぐれ以外には人の気配もないのだろう。平清盛というまったく輪郭が浮かばない人物を想起してみる。私が関東人、すなわち坂東の人間であるからだろうか。平氏というイメージすらもおぼろげ。武蔵国にも秩父平氏等の有力な氏があり、さらには平将門という確然たる象徴があるにもかかわらず、私は平氏に魂が揺さ振られることはなかった。

清盛神社(厳島神社境外末社)

主祭神:平清盛

清盛神社
清盛神社
清盛神社
清盛神社

もやもやとしつつ「清盛神社」をあとにする。ここまますすむと厳島水族館があり、さらに奥に「大元神社」という国指定重要文化財社殿がある。時間を気にするのをやめた私は悠々たる足取りで「大元神社」を詣でる。もっとも人の気配は皆無であり、厳島神社に魅了される人々も、わざわざ時間を割いて訪れるという価値を持っていないのだろう。私のような歴史好きや神社好きがときどき訪れるぐらい。観光ガイドには記載されているので、まったく無名な訳でもないのだろうが、それでもやはり厳島という雄大な存在に比してしまうと霞んでしまう。信仰すべき対象として大小は関係ないのだろうが。
もっとも私も「国重文」という御旗につられているだけなのだろうが。


大元神社

主祭神:
市杵島姫命・田心姫命・瑞津姫命

相殿配祀:
国常立尊・天照皇大神・他

由緒
本殿は室町時代の建造とされ、国重要文化財指定。当社は厳島神社摂社。この付近は大元浦と呼称され、毛利元就と陶晴賢が合戦した厳島の闘いにて陶晴賢が上陸した地という。陶晴賢は大元浦から上陸し、多宝塔付近から五重塔のある丘まで赴き、そこに陣を張った。しかし元就の奇襲によって陶軍は壞滅し、再び大元浦に戻るも、島から抜ける船もなく山中で自刃した。

大元神社
大元神社参道
大元神社
社殿
大元神社
拝殿
大元神社
本殿覆殿

大元神社から道を登ってみる。舗装されていない土の道。なんとなく道があるから登ってみた。少なくとも、「多宝塔」へ、という案内があるのだからそんなに奥に行くわけではないだろう。陶晴賢も大元浦から多宝塔へと向かったという。まさにこの道かも知れない。
登っているな、という感触を足に感じながら、気がついたら厳島神社大鳥居を望む海面が遙かに広がっている。「ああ、ここまで登ってきたんだな」という感慨。大鳥居の雄大さは上から眺めても、遜色なかった。
多宝塔。やはり重要文化財。相変わらず文化財という存在に弱いが、それだけの歴史を歩んできた建築物であり、歴史を流れる確かな存在がそこにある。そんな時間を共有したくて、私は「神社」という歴史の流れの一部を求めているのかもしれない。

多宝塔から厳島を眼下に広げて、そして観光客がひしめく界隈へと戻ってくる。厳島の社殿を陸地側から囲むように歩いて、五重塔へと向かう。
千畳閣と五重塔はやはりちょっとした高台にある。五重塔に頭を抑えられるような窮屈さを感じながら上に登ると鹿がいた。そういえば「いつきまつる島」は神鹿の島でもある。船着き場には飽きるほどいたが、まさか千畳閣の高台にいるとは思わなかった。もっとも私があさはかなだけだが。当然に鹿が石段を登るのは難しいことではない。


多宝塔
高さ15.6メートル。厳島神社西方の丘の上に鎮座。大永3年(1523)の創建という。国重要文化財。

五重塔
千畳閣に隣接。高さ27メートル。応永14年(1407)の創建という。国指定重要文化財。

千畳閣
厳島神社北東、塔の岡と呼ばれる丘上に鎮座。豊臣秀吉が天正15年(1587)に安国寺恵瓊を造営奉行として建築させた建物。天正17年にほぼ外観は完成させたが、朝鮮出兵や秀吉の死去によって内装は未完のまま残された。国指定重要文化財。
明治期にいたり、豊臣秀吉を祭祀する厳島神社末社「豊国神社」とされた。

多宝塔
多宝塔・眼下に海を臨む
五重塔
五重塔
千畳閣
千畳閣
千畳閣
千畳閣
千畳閣 左:千畳閣内部に鎮座する豊国神社


鹿に歓迎され、未完の千畳閣を望む。建築物としての巨大さと内部のむなしさ。外見とは裏腹に内部は骨材が剥きだしであり、外見とは全く違う圧巻さを醸し出している。そんな内部に違和感を抱くように「豊国神社」の社が鎮座している。豊臣秀吉の死去とともに造営が中断された建築物の姿を如実に物語っていた。表に林立する五重塔の華やかさと、眼下に見渡す厳島の豪壮さと繊細さ。そして千畳閣の豪快さと空虚。色とりどりの景観がこの狭い空間に集中していた。

当初の計画通りに事は進んでおり、厳島で見聞しようと思っていた事はだいたい完了していた。満足しているのだが、立ち去りがたい心境。
島を離れる船のうしろで、潮風に吹かれながら島を見送る。またここに来る日を想起しつつ。確実な未来を夢見つつ。


参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版


3.「速谷神社」/「多家神社」へ

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