「貴船神社と由岐神社」
<平成17年7月参拝 /平成21年1月記載>
長い間、更新もせずに放置したままの記事も多い。
そんなわけで3年前ほどの記事をようやく更新。重い腰はなかなか上がらないのだ。
もういろいろ忘れているので、写真メイン掲載です。
「由岐神社」 <朱印> <京都市左京区鞍馬本町鎮座>
御祭神
大己貴命・少彦名命
由岐大明神を祀る。
社伝によれば、天慶3年(940)に大己貴命・少彦名命を鞍馬寺が御所から鎮守社として勧請した事に始まる。
現存する拝殿(荷拝殿・にないでん)は慶長15年(1620)の建築で中央に通路をとった割拝殿で国重要文化財。
10月22日の「鞍馬の火祭」で有名。
公式サイト
正面 割拝殿(国重文) |
割拝殿 |
境内は杉の大木に囲まれている |
割拝殿は中央が参道となっている珍しい拝殿。 |
割拝殿を側面後方から。
斜面に舞台として建築されている。 |
ご神木。大杉社 |
由岐神社・本殿 |
由岐神社本殿 |
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叡山電鉄終点の「鞍馬口」駅。そこから鞍馬寺の山門にそって左側を北上する事500メートルで由岐神社に到達する。
社地は南面しており、背後には鞍馬寺・鞍馬山を控えた地に鎮座。
国重文にも指定されている割拝殿と、ご神木にもなっている大杉がなによりの見所。関東ではなかなか見かける事のない割拝殿の舞台についつい見とれてしまい飽きる事がなかった。その一方で、本殿は予想していたよりも小さく、対照的な本殿と拝殿がほほえましくもあった。
夏休みの期間ということもあり、鞍馬寺に赴く途中に立ち寄る人も多い。私はというと鞍馬寺に行くのは時間的余裕がなかったので遠慮して、隣の峰に鎮座している貴船神社を目指す。
貴船神社 <朱印> (貴布禰神社・延喜式内名神大社・旧官幣中社・神社本庁別表神社)
<京都市左京区鞍馬貴船町>
祭神:タカオカミノ神、もしくはクラオカミノ神ともミズハノメノ神とも。
本宮にはタカオカミノ神、奥宮にはクラオカミノ神が祀られているとも。呼び名は違っていても同じ水を司る神とされている。
古くは「貴布禰」といわれ、また「木船」ともいわれた。
京都を貫通する鴨川の水源に位置しており、水を司る神として古来より崇敬をあつめる。
創建年代は不詳。史料上の初見は弘仁9年(818)で、このときに大社に列している。特に平安京遷都(794)以降、京都朝廷に祈雨・止雨の神として崇敬されてきたことがわかる。
醍醐朝の昌泰元年(898)に十六社奉幣がおこなわれ、当社はそのうちの一社。のちに制定された二十二社でも奉幣されている。<二十二社制について>
全国約260社とも300社とも500社ともいわれている貴船社の総本社。
創建年代は不詳であるが天武天皇の白鳳6年(677)に社殿造替の記載もあり、平安遷都(794)以降は、京都の水神として隆盛を極めた。
平安期以来、当社は賀茂別雷神社の摂社であり。独立したのは明治期。明治4年に「貴船神社」を正式名称とし官幣中社に列格した。
公式サイト
貴船神社・結社 (貴船神社中宮)
祭神:磐長姫命(イワナガヒメノ命)
瓊瓊杵尊(ニニギノ尊・神武天皇の曾祖父)が、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ命)を娶らんとするときに、父であった大山祇命(オオヤマヅミ命)が姉の磐長姫命もともにすすめたが、ニニギ尊はコノハナサクヤヒメ命だけを望まれたため、イワナガヒメ命は大いに恥じて「吾、ここに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれて御鎮座なされたという。
古くより縁結びの神として知られ、平安期には恋愛問題で悩んでいた和泉式部(女流歌人)が訪れて貴船川の蛍をみながら詠歌した事で有名。
和泉式部は夫との仲がうまくいかなくなった事に悩み、当社に参拝。貴船川に飛ぶ蛍をみて、心情を歌に託したという。
「ものおもへば沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂かとぞみる」
(あれこれと思い悩んでここまでくると、蛍が貴船川一面に飛んでいた。はかない光はまるで私の魂が抜け出て飛んでいるかのようだ)
すると、社殿の中なら慰めの返歌が聞こえてきた。
「おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の 玉ちるばかりものな思ひそ」
(しぶきをあげて飛び散る奥山の滝の水玉のように(魂が抜け出て飛び散る=死ぬかと思うほど)、そんなに深く考えるではない)
貴船の明神の御返歌が和泉式部の耳に聞こえてきて、ほどなく願いが叶えられ夫婦仲がもとのように円満になったという。
(出典は御拾遺和歌集・参考は境内案内看板)
ニニギ尊関連の神話は詳細は当サイト「記紀神話の神々〜ホノニニギとコノハナサクヤメ〜」を参照。
由緒は境内案内看板より引用含む。
中宮・結社 入り口 |
結社 |
うっそうと樹木におおわれる
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境内に鎮座する「天の磐船」
貴船の山奥より産出し、平成8年に奉納されたもの |
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和泉式部 歌碑 |
ご神木 |
貴船神社・奥宮
貴船神社奥社は、遷座する前の古鎮座地という。
伝説によると、反正天皇の時代に(5世紀初め)に、玉依姫(神武天皇の母)が黄船にのって浪速から淀川・鴨川・貴船川をさかのぼって当地に上陸し、祠を営んで水神を祀った事に始まるともいう。
永承元年(1046)に貴船川の水害によって社殿流失があり、天喜3年(1055)に現在地に遷座し、奥宮は旧殿地となったという。
現在の社殿は文久3年(1863)を元に修繕を重ねてきたという。
奥宮本殿下には現在は枯れてしまったが水脈があり現在は龍穴となっているという。
また当社には「宇治の橋姫」伝説(宇治・橋姫神社)も伝えられている。
宇治の橋姫が「丑の刻」(午前2時)詣でをして男に呪いをかけたとされ、謡曲「鉄輪(かなわ)」のもとになったものという。
(Wikipedia 橋姫)
ちなみに『丑の刻詣で』というものは祭神が国土豊潤のためう丑年丑月丑日丑刻に降臨されたという故事に基づくもので、人々のあらゆる心願成就に霊験あらたかな事をしめすもので、呪詛のみに限定されるものではないという。
「思ひ川」にかかる参道。
往時は奥社の地に本社が鎮座しており、この川で身を清めたという
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奥社入り口
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奥社舞殿 |
奥社社殿 |
御船形石
伝説によると玉依姫の黄船(貴船)を人目を忌みて小石で覆ったという |
船形石と社殿
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貴船神社は以前より気になっていて、いこういこうと思っていた神社。しかし、行くにあたっては交通の便がいまひとつでなかなか行く気がおきなかった。
叡山電鉄・貴船口駅。そこから約30分山道を歩くか、それともバスに乗るか。ちなみにバスは春分の日から11月頃までと正月のみの運行。つまり冬季は運休する。駅までちょうどバスが出るようなのでバスにのって神社まで。
ちょうど夏休み。行楽客・参拝客が多数。貴船の名物たる川床料理屋が盛況なようだ。道路は狭く人は多い。いやに混み合っていた。
貴船神社は貴船山と貴船川に挟まれた地に南面。川向こうは鞍馬山。余裕があれば貴船と鞍馬とを山越えして参拝したいところだが、今は思うだけにしておこう。
予想よりも小さく狭い境内だった。土地的にも精一杯の空間。
この本社から川沿いに北上すると結社と奥社が鎮座している。本社と結社は約300メートル。結社から奥社までは約1キロメートル離れている。夏の日差しをうけながら、川のせせらぎを感じつつ、木漏れ日の中をあるく散策路。人の往来はにぎにぎしいが、意外にも気持ちよい空のなかをゆっくりと参拝できた。
参考文献・サイト
案内看板、由緒書き等
日本神社総覧 新人物往来社
神社辞典 東京堂出版
神まうで 鉄道省 昭和8年
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