「小野神社三社・御朱印巡り」
<平成21年9月参拝記載>
「谷保天満宮」「町田ノ小野神社」「多摩ノ小野神社」「府中ノ小野神社」「間嶋神社」
8月末頃。
かねてより懇意させていただいている『プチ神楽殿』さんの掲示板にて「府中・小野神社の御朱印」が9月の祭礼の時に戴けるらしいという話題で盛り上がっていた。
せっかくなので、私も参加。こうして『プチ神楽殿』さん主催で「小野神社御朱印ゲット」のプチオフ会がひらかれることになった。今回の小野神社は「町田」「府中」「多摩」の三社。オフ会集合は「谷保天満宮」。
集合の谷保天満宮は「府中の小野神社」の本務社で、そこで「府中の小野神社」御朱印が頂戴出来る手はずになっていたのだ。
そんなわけで今回はオフレポも兼ねています。
「谷保天満宮」(旧府社・東京都国立市谷保鎮座)
前回掲載1・前回掲載2
祭神: 菅原道真公 菅原道武公
由緒 菅原道真の子である道武の創建という。道真には道武という名の子供は存在していないが、父が太宰府に流され子は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(谷保)に配流された際に実名を秘して道武と称したとされている。 延喜三年(903)に太宰府にて道真が薨去され、道武は思慕の情から道真の尊容を刻んで天津島(府中市本宿・国立府中インター付近)の地に社を創建したことに始まるという。 天暦元年に京都北野天満宮造営に際して、当社の威霊を奏上され村上天皇の勅によって神殿が造営され官社に列せられたという。
養和元年(1181)に領主であった津戸為守(谷保の城山の館主ともいう。菅原道真−道武の子孫)によって府中天神島から谷保の現在地に遷座。 明治18年府社列格。東日本最古の天満宮とされ、関東第一の天満宮と称せられる。 湯島天神・亀戸天神とともに関東三天神という。
本殿は流造。寛永年間の造営(1624−1643)という。拝殿は江戸末期造営とされる。 甲州街道から表参道を降りると本殿拝殿がある。高台に鎮座する神社が多いなかで、下に降りる神社は珍しい。社殿が街道に背を向けているのは、かつての甲州街道が境内の南を通っていたためという。
谷保天満宮 御朱印 |
谷保天満宮 御朱印帳 |
谷保天満宮 正面鳥居 |
谷保天満宮 参道 |
谷保天満宮 拝殿 |
谷保天満宮 絵馬とニワトリ |
谷保天満宮 狛犬とニワトリ |
12時。谷保天満宮に集合。(実際にはちょっと前にあつまっていましたが。。。)
神楽さん、赤城おろしさん、御津垣さん。そしてこまいぬさんの代理の人。まずは谷保天満宮で御朱印を頂戴する。「府中の小野神社」には御朱印が用意されておらず府中小野神社を兼務されている谷保天満の宮司さんが小野神社例大祭の際に(事前連絡のうえで)特別に押して頂ける手はずになっていました。
めいめいの御朱印帳に谷保天満宮にて「府中・小野神社」の御朱印を頂戴する。
宮司さんから面白いお話もお伺い出来ました。
なかでも境内のニワトリが、元々は「谷保天満宮のお面」に使うためにいろいろな鳥を自前で飼育していて、結局いずれもうまくいかずにそのうちの「ニワトリ」が境内で野生化したとの事。意外にも野生というニワトリは餌は人の手から貰っているとのことで人懐くある。
谷保天満宮境内で貴重な時間を過ごす事が出来ました。ありがとうございます。
こまいぬさんの代理の人とはここでお別れして、神楽さんの車に乗り込んで次に目指すは「町田の小野神社」となる。
「町田ノ小野神社」(町田市小野路町鎮座)
御祭神
小野篁(おののたかむら)公(802−853)
小野篁公は平安時代前期の官人・学者・歌人。小野妹子の子孫。孫に三蹟の一人となった書家の小野道風がいる。
武蔵七党の猪俣党や横山党などの武士は小野篁の子孫と称している。
小野篁の七代の孫である小野孝泰が武蔵国司として天禄年間(972ごろ)に府中へと赴任したとき当地が小野郷と称した事から小野篁が当地に滞在したと考え、篁の御霊をこの地に祀った事に始まる。
当地は小野路宿の入口でもあり、小野路宿は武蔵国府(府中)と鎌倉を結ぶ鎌倉街道の要衝にあたる。
室町期の応永10年(1403)に小野路村の僧正珍が旅人の安全を祈願し宮鐘を奉納。朝夕に別当寺清浄院(現在は廃寺)の僧が宮鐘を撞いて時を知らせていたという。しかし戦国時代の文明年間に扇谷・山内両上杉の合戦が小野路付近でくり広がられ、山内上杉氏家の陣鐘として使用されたのち鎌倉に持ち帰られてしまったという。現在、逗子の海宝院に伝わる鐘(神奈川県重要文化財)がもともとは当社の宮鐘。昭和59年に海宝院より複製復元し拝殿脇に設置されている。
当地には小山田氏の小野路城跡とされる城山もあり、城山には「小町井戸」が残っている。小野小町の伝説は不詳ながら、小野氏との縁の深さを物語っている。
本殿は流造り、拝殿は権現造り。現在の社殿は昭和3年(1928)の再建。
町田ノ小野神社御朱印 (要問い合わせ) |
町田ノ小野神社社号標 |
町田ノ小野神社正面 |
町田ノ小野神社参道 |
町田ノ小野神社 御神輿 |
町田ノ小野神社 舞殿舞台 |
町田ノ小野神社 境内広場 |
町田ノ小野神社 高台に鎮座する拝殿 |
町田ノ小野神社 拝殿脇の宮鐘 |
町田ノ小野神社 拝殿
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町田ノ小野神社 本殿 |
13時50分ごろ。町田の小野神社に到着。
町田の小野神社は境内は夜に向けて祭礼準備の真っ最中といったところ。拝殿内ではちょうど式典が終わったところで、集会所で直会(神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事)に移るところだった。直会がおわるまで拝殿内に昇殿させていただき宮司さんの手が空くのを待たせて貰った。
今回の小野神社三社は、すべて赤城おろしさんの手配によって宮司さんと連絡がとれており、御朱印を戴ける手はずになっているのだ。
拝殿内には小野篁の額絵が掲げてあった。拝殿の脇には由緒を伝える宮鐘もあり、なかなか趣深い気配。
手の空いた宮司さんから御朱印を頂戴し、境内の散策へ。社殿は高台に鎮座しており境内を見下ろせる空間。下の方には広場があり、神楽殿では夜のイベント準備が行われていた。演歌歌手がやってくるそうで、なかなかに盛大な準備だ。参道も狭いながらに屋台がひしめいており、地域のお祭りとしての活気が伝わってきた。
「多摩ノ小野神社」(武蔵国一の宮・式内論社・旧郷社・多摩市一之宮鎮座)
前回掲載1・前回掲載2
御祭神
天乃下春命(アメノシタバル命・ニギハヤヒ尊に供奉した神・オモイカネ神の御子(アメノシタバル命が秩父国造の祖)ともいう) 瀬織津比売大神(セオリツヒメ大神) イサナギ尊・スサノヲ尊・オオナムジ大神・ニニギ尊・ヒコホホデミ尊・ウカノミタマ命
小野神社の創始は安寧天皇十八年二月(約2000年前)、または八世紀中頃と言われているが、いずれにせよ定かではない。光孝天皇元慶八年(884)には正五位上に神階が進められた記録があり、延喜の制では式内小社として名を連ねている。
もともと多摩郡の小野牧は陽成上皇の御料牧であったが、承平元年(931)に敕旨牧に編入されている。この牧を経営し、別当に任じられた小野氏が奉斎してきたのが小野神社であった。中世には武蔵国衙に近在する神社の筆頭として、また府中の大国魂神社(武蔵総社六所宮)所祭神座の第一席に「一の宮 小野大神」と記載されることから「武蔵一の宮」とされている。
多摩市(南多摩郡)の小野神社は神域3800平方メートル、大正十五年の失火後の再建という。
多摩ノ小野神社 御朱印 (要問い合わせ) |
多摩ノ小野神社 正面 |
多摩ノ小野神社 楼門 |
多摩ノ小野神社 境内風景 |
多摩ノ小野神社 拝殿 |
多摩ノ小野神社 本殿 |
多摩ノ小野神社 子供神輿 |
多摩ノ小野神社 山車が出ていました |
多摩ノ小野神社 参道口 |
15時20分。多摩の小野神社へ。こちらも祭礼。近隣のあっちこっちでも祭礼が行われており、なかでもこちらの宮司さんは三社の祭礼を掛け持ちされているとのことだった。
ちょうど宮司さんも戻ってきたので、お約束の御朱印を頂戴する。今回の小野神社オフ会はまず第一に御朱印を頂戴することが目的だった。
拝殿の扉が開いているのははじめて拝見。前回は夏祭りの狭間に訪れたが、ちょうど閑散としていたタイミングでもありちょっと寂しかったが、今回は境内がにぎわっている。祭礼の日というのを改めて実感。周辺町内では多摩小野神社自慢の「大太鼓」が巡行しているとのことで「ドーン」と音が鳴り響いていた。
「府中ノ小野神社」(式内小社論社・郷社・府中市住吉町鎮座)
前回掲載1
御祭神 天乃下春命(アメノシタバル命)
瀬織津比売大神(セオリツヒメ大神)
創立年代は不明。一説に第三代安寧天皇(紀元前531?)のころ創建という。
小野神社に祀られている祭神のアメノシタバル命はニギハヤヒ命が河内国に降臨した際に供奉した神。
兄武日命が初めて、この小野県の造となったときに祖神として多摩郡に勧進し祀ったと伝えられている。
兄武日命はのちに武蔵国造となっており、小野神社を武蔵一の宮として崇敬したと推定。
延喜式内社の論社。もう一つの論社は上述の多摩川南の多摩市に鎮座する小野神社。
いつのころかは不詳なれど府中小野宮のやしろが多摩川の洪水で流失し南岸に移された、もしくは多摩川の流れの変化で現来同一の社が分かれたともいわれている。また、当社が多摩から遷座されたとも、旧跡ともいわれているが諸説あり定かではない。
明治6年に郷社列格。
<ファイル 5MB その1 「小野宮廟碑」(寛政7年)版木印刷資料>
府中ノ小野神社 御朱印
「秋の例大祭」時に本務社の谷保天満宮で授与
(要問い合わせ) |
府中ノ小野神社 御朱印
「秋の例大祭」時のみ祭礼役員より授与
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府中ノ小野神社 参道正面
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府中ノ小野神社 拝殿 |
府中ノ小野神社 本殿 |
府中ノ小野神社 拝殿 |
欅の老樹の切り株(樹齢2000余年と推定) |
「小野宮廟碑」(寛政7年) |
府中ノ小野神社入口 |
府中ノ小野神社 大太鼓巡行 |
府中ノ小野神社 大太鼓巡行 |
多摩川の北側の「府中の小野神社」へ。ここは谷保天神で最初に御朱印を頂戴したところ。
ところが祭礼役員の氏子さんがご準備をしていたとのことで、この祭礼のために「御朱印」を用意していてくれていました。以前は御朱印がなかったものの問い合わせがあったので「新しく用意しました」とのこと。なにげにオフメンバーの御津垣さんが御朱印の件を問い合わせしていたそうで、みなさんの行動力に感服です。
境内で貴重な話をお伺いする。
受付のMさんからは府中の小野神社が特集されたという「JAマインズ(府中・多摩・調布・狛江・稲城)が発行する季刊誌をわざわざ家からとってきて頂いたり。府中の小野神社が特集された資料として良くまとまっており、これは読みがいありです。ありがとうございました。
境内の奥にある「小野宮廟碑」の話をお伺いしていたら、詳しい資料があるという事で氏子総代のKさんにお招き預かってしまったり。
祭礼の途中という事もあり、大太鼓巡行が小野神社から間嶋神社にむかったあとで時間を頂戴して、総代のKさんのご自宅で「小野宮廟碑(寛政7年)版木印刷資料」(上記リンク参照)や「小野神社関係資料について」を戴いてしまったり。
屋内にある昭和30年の大国魂神社暗闇祭のはなしや、神社彫刻の話、そして府中小野神社の話等、約1時間ほどお話をお伺い出来ました。
大変ありがとうございました。
「間嶋神社」(間島神社)(まじま神社・府中市住吉町鎮座)
祭神:間嶋大神
由緒:不詳
間嶋(あいじま・ましま)は現在の府中市住吉町3.4丁目の間嶋神社辺りに中心があった集落。
もともとの集落は青柳島(関戸橋の西・中河原駅駅南西あたり)にあったが、多摩川洪水で流されて当地や国立市青柳地域等に移転したという。
延宝6年(1678)の検地帳には「相嶋」と記されている。
間嶋神社 |
間嶋神社 本殿 |
間嶋神社
小野神社の山車が到着して、子供たちが御菓子授与へと殺到 |
間嶋神社 拝殿
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間嶋神社境内で小野神社大太鼓が奉納儀式 |
間嶋神社境内で小野神社大太鼓が奉納儀式 |
こちらはおまけの間嶋神社。府中の神社巡りをしている私だけど、まだ未訪問の神社。この機会に御参拝。
小野神社の大太鼓と山車が小野神社から間嶋神社に巡行するのも知らなかった。迫力ある大太鼓を間近で接せられしばし夢中で鑑賞。うっかり、オフ会メンバーとはぐれて独断専行してしまう一コマも。失礼いたしました。
氏子総代のKさんのご自宅から小野神社境内にもどったら、テントに招待されてお茶やお菓子まで頂いてしまいました。
そこでしばし談笑して、すっかり暗くなってしまい雨もひどくなってきたのでお世話になった府中小野神社をあとにする。
谷保天神までもどって、そこで解散。
オフ会とりまとめの『プチ神楽殿』神楽さん、各神社の宮司さんへの連絡や取り纏めをしていただきました赤城おろしさん、ありがとうございました。飛び入り参加の御津垣さん、そしてこまいぬさんの代理のかた、お疲れ様でした。
また機会がありましたら、このようなこのようなオフ会ができればいいなと思っております。
参考:
公式サイト 谷保天満宮
神社由緒書
「神社辞典」(東京堂出版)
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