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「若狭湾岸の古社詣で・その3 小浜」
<平成17年7月参拝・7月記載>


目次
その1・敦賀(1)  「気比神宮」「金崎宮」
その2・敦賀(2)  「天満神社」「晴明神社」「八幡神社」「松原神社」

その3・小浜  「若狭彦神社」「鵜之瀬・白石神社」「若狭姫神社」「小浜府中ノ総神社

その4・舞鶴  「弥加宜神社(大森神社)」「朝代神社」「笑原神社」
その5・天橋立  「天橋立神社」「籠神社」「真名井神社」「板列八幡神社」「板列稲荷神社」


敦賀駅から12時02分の電車に乗り込む。
JR小浜線はローカルチック。昼間に敦賀から小浜に行こうと思っても、時間は0814・1045・1202・1335な感じ。電車は二両編成。見事なまでに混んでいる。ローカル線で本数が少なく、それでいて多少の都市を結んでいるのだから、混むことには混む。学生も一杯。
電車は、三方五湖を巡り、小浜まではかなり風光明媚。車内の女子高生も野暮っぽくて、なんか良い感じ。

約一時間後の12時57分に東小浜駅に到着。レンタサイクルをする。同じような事を考えていた人がいて、私ともう一人がレンタサイクルをする。同業者のようでもあれど、違うようだ。
レンタサイクルは二時間の予定。とにかくひた走る。
なによりも雨が心配だから。


「若狭彦神社」(若狭一の宮・延喜式内名神大社・国幣中社)
<福井県小浜市龍前・朱印

祭神
上社:彦火火出見尊(ヒコホホデミ尊・若狭彦神)
下社:豊玉姫命(トヨタマヒメ命・若狭姫神)

上社:若狭彦神社
下社:若狭姫神社(遠敷神社・若狭彦神社の2キロ北方)
上社下社を総称して「若狭彦神社」(若狭遠敷神社・遠敷明神・遠敷上下宮)とも呼称。

延喜式内の「若狭比子神社二座明神大」の一座。
創祀は不明、社伝では霊亀元年とされる。
和銅7年(714)に下根来の遠敷川「鵜乃瀬」の清流の地「白石」に若狭彦神と若狭姫神が降臨され仮宮を営んだことにはじまるという。その後、永久鎮座の場をもとめて、若狭国内を巡り、霊亀元年(715)に若狭彦神社、6年後の養老5年(721)に若狭姫神社が鎮座。

明治4年国幣中社列格。
現在の三間社流造本殿は文化10年造営、神門は天保元年とされる。

祭神が降臨された「鵜乃瀬」は奈良東大寺二月堂の若狭井に通じているとされる。毎年3月の「お水取り」は東大寺実忠和尚と遠敷明神の神約に基づくものであるとされ、「お水取り」前に鵜乃瀬で送水神事が行われている。

若狭彦神社

若狭彦神社
若狭彦神社
参道
若狭彦神社
参道
若狭彦神社

随神門
若狭彦神社
境内
若狭彦神社
社殿
若狭彦神社
本殿
若狭彦神社
本殿
若狭彦神社
本殿
若狭彦神社
御神水

東小浜駅から約二キロを南下する。駅から500メートル南には若狭姫神社が鎮座しているが、まずは「若狭彦神社」に行きたいので、素通り。ひたすらに南下するのだ。道は一直線。遠敷川に沿って南下。

13時15分。
深い森。ドップリと湿った空気。湿度が高い。雨が来そうだ。このどんよりとした湿度が、神社の杜をさらに潤す。古木に覆われ、苔むした参道を踏みしめる。一歩一歩と足を運べば、心が徐々に落ち着いてくる。

水が綺麗だ。私は何よりも水が綺麗な神社が好き。ひた走った疲れを癒し、空を見上げれば雨もポツポツ。降ったり、降ってなかったり。
改めて、神水を頂いて、頭を垂れる。

さらに南下するのだ。


「鵜乃瀬・白石神社」(鵜乃瀬・鵜の瀬・鵜ノ瀬)
<福井県小浜市下根来>

鵜乃瀬
天平年間、若狭神願寺(神宮寺)から奈良東大寺に赴いた印度僧実忠和尚が大佛開眼供養を指導。のち天平勝宝4年(753)に二月堂を建立し「修二会」をはじめられた。
その二月初日に神々を招待されて、すべての神々が参列されたなかで若狭の遠敷明神のみはなかなか見えず、二月十二日の夜半に参列された。それは川漁に熱中して時間を忘れてしまい遅参したとの事だった。
遠敷明神はそのお詫びも兼ねて、若狭より二月堂本尊への香水閼加井(あかい)を送る約束をなされ、そのときに二月堂地下から白と黒の鵜が飛び出して泉が湧き出たので「若狭井」と名付けら、その水を汲む行事を「お水取り」と呼称した。
その若狭井の水源が「鵜乃瀬」の水中洞穴であり、その穴は若狭から奈良までつながっていると伝説される。
その伝説を信仰し、毎年三月二日の夜に神仏混淆行事として神宮寺・若狭彦神社の「送水神事」(お水送り)が執り行われている。

白石神社(若狭彦神社境外末社・若狭彦神社奥宮)
祭神:若狭彦神・若狭姫神を白石大神、または鵜乃瀬大神とたたえて奉祀。
若狭彦神社祭神降臨の創祀の社とされるも、創建年代は不詳。

鵜乃瀬
鵜乃瀬
鵜乃瀬
鵜乃瀬
鵜乃瀬
鵜乃瀬
白石神社
白石神社

13時40分。自転車を借りて約30分後に鵜乃瀬到着。若狭彦神社に立ち寄って、さらに雨も降ってないので上出来だ。
東小浜駅からは約4キロ南。若狭彦神社からは約2キロ南。遠敷川の淵。

若狭彦神・若狭姫神が御降臨された地であれど、今は「お水取り」の「お水送り」で有名な地。
カメラレンズが曇る。それほどの湿度。もう雨が降ってもおかしくない。ぼーっと水と親しむのも良いが、上から降ってくるのは災難なので、ことさらに一気に南下して戻る。
最初に通過した「若狭姫神社」に赴くのだ。



「若狭姫神社」(若狭一の宮・延喜式内名神大社・国幣中社)
<福井県小浜市遠敷(おにゅう)鎮座・朱印

祭神:
上社:彦火火出見尊(ヒコホホデミ尊・若狭彦神)
下社:豊玉姫命(トヨタマヒメ命・若狭姫神)

上社:若狭彦神社
下社:若狭姫神社(遠敷神社・若狭彦神社の2キロ北方)
上社下社を総称して「若狭彦神社」(若狭遠敷神社・遠敷明神・遠敷上下宮)とも呼称。

由緒は若狭彦神社を参照。延喜式内の「若狭比子神社二座明神大」の一座。
若狭姫神社の本殿は享和2年、神門は享和3年、随神門は享保3年再建。
本殿瑞垣内の千年杉は樹高約40メートル。遠敷の千年杉として名高い神木。
室町中期以降は、神事の中心は下社若狭姫神社でとりおこなわれ、社務所も下社にある。

若狭姫神社
若狭姫神社
若狭姫神社
鳥居付近から見返り。千年杉を仰ぎ見る。
若狭姫神社
随神門
若狭姫神社
千年杉と社殿
若狭姫神社
社殿
若狭姫神社
社殿
若狭姫神社
本殿
若狭姫神社
本殿

13時50分。若狭姫神社到着。一度ぽつりときたが、やんでくれた。まだなんとかなる。
社務所は若狭姫神社にあるので、ここで「若狭彦・若狭姫」二社分の朱印を頂戴する。境内では樹木を整えている。なかなか大がかりであrどほほえましい光景。
やはり水が心地よい。ペットボトルに御神水を頂戴して、宿舍でお茶を頂こう。荷物になるが、なにやら満足。
本殿脇の千年杉に圧倒され、魅了されつつ、重厚なる木々のぬくもりに心を癒され、木々が潤う湿度の高さにすら感謝する。

14時10分。まだ時間はある。小浜府中まで突っ走ろうと思う。自転車返却時間との勝負にはなるが。
東小浜駅から府中までは約2キロ西側。


「総神社」(総社神社・村社・若狭総社論社)
<福井県小浜市府中鎮座>

由緒由来は不明。
若狭国の国府所在地は明確ではないが、小浜市府中には「総神社」が鎮座している。

総神社
小浜府中集落
総神社
総神社
総神社
総神社
総神社
総神社

とにかくひた走る自転車。ギアなしだけれども驚異的なスピードで駆け抜ける。不思議なもので旅先でレンタサイクルすると、自転車のスピードもいつも以上に早く走れる。童心に返るようだ。

14時25分。小浜府中の総神社に到着。なにやら府中集落での催し事があったrしく、神社周辺が混み合っている。それこそ若狭彦神社以上に人が多いのですが。
外来部外者の私はあまり心地よいものではないが、そこは自転車を止めて、おもむろに拝して、写真を撮る。こういう時に一眼レフカメラを持ち出すと、どうも空気を圧倒してしまう。少なくとも地元の人から見れば、不審者に分類されそうだ。

小浜府中の集落は地図でみただけでも興味深い。小浜湾に注ぎ込む幾筋かの川に南北を挾まれ、回りは水田地帯。そして南北300メートル四方に民家が集中してまさに集落となっている。集落の中心に「総神社」が鎮座。理想的な立地でもあるのだ。

若狭国の総社としての機能は不明であるが、それでも一国総社の風格を尊重。
駅に戻れば15時。ちょうどほどよく2時間レンタサイクルも成功なのだ。

電車は15時25分発。これを逃がすと16時50分まで電車も来ない。このあたりも考えた上での私の行動。
この電車は東舞鶴には16時14分に到着する予定。

ところが15時29分に小浜駅に到着したら、「運行変更」がはいる。なにやら京都行きの特急が臨時に小浜から発車するためのダイヤ変更。普通電車の出発は15分ほど遅くなるらしい。
普通電車の車内は混んでいて座れない。なにやら疲れたので特急に乗り換え。
特急「舞鶴8号」は16時15分に東舞鶴に到着。


参考文献
案内看板、由緒書き等。
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・18 福井県


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