「郷土の鎮守様〜府中市東部の神社散歩」
<平成21年8月参拝 8月記載>
「白糸台ノ上染谷八幡神社」
「白糸台ノ神明社」「白糸台ノ諏訪神社」「白糸台ノ稲荷神社」「白糸台ノ八幡神社」
「押立神社」「押立ノ本村神社」
「小柳町ノ石井神社」「若松町ノ常久八幡神社」
ある週末。自宅から自転車にまたがって、府中市東部の神社を散策してみた。
府中市・国立市地域
「府中市東部の神社その1」「府中市東部の神社その2」「府中・国立の神社その3」「府中・国立の神社その4」
府中市の神社マップ
国立市の神社マップ
「白糸台ノ上染谷八幡神社」(旧村社・府中市白糸台鎮座)
祭神:品陀和気命(応神天皇)
由緒:
正慶2年(1333年)上野国碓氷郡八幡より武蔵国府に遷座。
正平11年に武蔵守新田義宗社殿再建、承応2年8月に玉川洪水にて社地流失し現在地に遷座。
明治8年2月、村社列格。
昭和3年に本地仏の阿弥陀仏立像が国宝に指定(旧国宝)。現在は国重要文化財指定。
昭和15年本殿新築、昭和30年仮拝殿新築。
旧甲州街道に面した参道 |
道路に分断されながらも参道が残っています |
甲州街道から入口 |
神社境内 |
社殿 |
社殿 |
京王線多磨霊園駅から北へ500メートル。甲州街道沿いに鎮座している。かつての参道が旧甲州街道からまっすぐに伸びている。境内の木々はよく整理されており、境内の雰囲気がすがすがしい。
本殿の手前に拝所設けられただけの簡単なつくりであれど、拝殿の流線型の屋根が美しい。好感触な神社。
「白糸台ノ下染谷神明社」(府中市白糸台鎮座)
祭神:天照皇大神
由緒:
弘長年間(1261−63)創建と伝承。明治4年に村社列格。
合殿の稲荷社は文永年間中頃に鎮座という。
昭和62年8月社殿再建。
参道と歩道と一体気味 |
神明社入口 |
参道 左手には小祠 |
社殿 |
甲州街道。京王線武蔵野台駅の北東500メールの地に鎮座。道路脇に隣接し平行した参道。神社は南面している。社地はそんなに広くなく参道脇には小さな祠が並んでいた。開放的な景観。
「白糸台ノ諏訪神社」(府中市白糸台鎮座)
祭神:健御名方命
由緒:
不詳。平成14年社殿再建。
伝承では甲斐の武田信玄が小田原の北条氏からの攻勢に対して派遣した武将が白糸台に砦を築きその際に鎮護として祭ったことに始まるという話もある。
(2010/5/11に掲示板に投稿いただいた記事を基にしております)
曲線を描く参道 |
社殿 |
境内風景 |
府中の名木百選 諏訪神社のシラカシ |
京王線武蔵野台駅から東に300メートル。線路の南側。南白糸台小学校の北側に鎮座。社殿のすぐ後ろに京王線が走っている。社殿はあたらしめ。参道がゆるやかなカーブを描いている。やはり開放的な空間が広がっていた。
「白糸台ノ稲荷神社」(府中市白糸台鎮座)
祭神:稲倉魂命
由緒:不詳
正面 |
境内 |
京王線武蔵野台駅からは東に500メートル。線路の南側。諏訪神社からは南東に150メートルといったところに鎮座している。正面の鳥居はいやに背が低くて160cm程度の私が普通にあるいて頭をぶつけてしまうほどの高さであった。
「白糸台ノ車返八幡神社」(旧村社・府中市白糸台鎮座)
祭神:品陀和気命
由緒:
創建年代は不詳。天正年間(1573−93)に当字の本願寺守護神として本願寺境内除地に勧請。産土神としたという。
明治8年、村社列格。
正面 |
拝殿 |
本殿 |
府中の名木百選・車返八幡神社のスダジイ |
京王線の武蔵野台駅から200メートル東に鎮座。京王線線路の南側に位置している。神社の西隣には八幡山本願寺が鎮座している。
当地のある「車返」とは、頼朝が奥州藤原秀衡を征討する際に、藤原秀衡の持仏であった薬師如来を畠山重忠に命じて鎌倉に移送中に、夢のお告げがあり、当地周辺に仏像を安置し、移送していた車をもとに返した事に由来する。車返の旧境内地は市立第四小学校の裏という。
「押立神社(旧称:手津久里稲荷神社)」(府中市押立町鎮座)
祭神:稲倉魂命
由緒:
慶長年間に山城国の伏見稲荷大社の分霊を鎮祭したのが創建。
当所は多摩川の辺に鎮座していたが正保年間の大洪水のために現在地に遷座。
万葉の昔より「てつくりの里」と歌われた土地柄故に「手津久里稲荷」と称していた。
明治14年に「押立神社」と改称。翌15年に社殿改築。
正面 |
拝殿 |
府中の名木百選 押立神社のイチョウ |
境内の蝉 |
中央自動車道の南側。稲城ICの近く、多摩川の北側に位置している。飛田給駅の南800メートルほどの場所に鎮座。
もともと稲荷社。現在は押立地区の鎮守として崇敬されている。
境内には蝉がとにかく多く、木々にびっしりと蝉がとまって大合唱を繰り広げいた。
「押立ノ本村神社」(府中市押立町鎮座)
祭神:天照皇大神・稲倉魂命・素戔嗚尊
由緒:
不詳。かつては「牛頭天王社」として崇敬をあつめていたという。
寛文年間の多摩川大洪水によって押立村が南北に分断してしまい、北の府中側が「本村」、南の稲城側が「向押立」と呼称された。
当社は北側の鎮守。
社殿 |
押立神社から東に100メートル。龍光寺のとなりに鎮座。府中でも東端に位置しており、直ぐ先が調布市。南に行けば多摩川といったところ。角地に窮屈そうに鎮座していた。
「小柳町ノ石井神社」(府中市小柳町鎮座)
祭神:石筒之男命・品陀和気命・倉稲魂命
由緒:創建年代等不詳。昭和43年5月に溝合神社を合祀。
裏参道 |
表参道 |
社殿 |
府中の名木百選 石井神社のクヌギ |
西武多摩川線競艇場駅から北に500メートル。京王線多磨霊園駅からは南に600メートルほど之場所に鎮座。社地の南側に中央高速が走っている。付近は住宅地と水田地帯が入り交じった地帯。静かな一角といったところ。
「若松町ノ常久八幡神社」(旧村社・府中市若松町鎮座)
祭神:品陀和気命
由緒:
創建年代は不詳
明治6年12月に村社列格。昭和26年社殿新築。
甲州街道の南側。京王線東府中駅と多磨霊園駅の中間地点に鎮座している。交通量が多い甲州街道を本殿裏にひかえ、社頭は旧甲州街道。そこはさすがに鎮守の杜。境内に足を踏み入れれば喧騒さを感じさせない空間がそこにあった。
<参考文献>
北多摩神社誌
昭和51年8月27日発行
発行者 北多摩神道青年会むらさき会
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