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神のやしろを想う・特別編「お伊勢参りの風景」
2.内宮編



1. 外宮編目次(その他すべての目次)

2. 内宮編目次
内宮へ」/皇大神宮(内宮)内宮別宮・荒祭宮、風日祈宮/「内宮周辺の摂末所管社


内宮へ
 外宮の月夜見さんを参拝したらほどよく時間も午前9時となっていた。そのまま歩くことしばしで「JR伊勢市駅」に到着。実は伊勢市駅前でもレンタサイクルを行っている。しかし、なぜだかJR伊勢市駅のほうは割高。JRと近鉄の駅という駅単位の問題ではなく民間系と観光協会系の違いが値段に繁栄されているらしい。私としては安い方がよいので近鉄宇治山田駅まで歩いて、4時間500円(一日800円)のレンタサイクルを借りる。
 どうにも走りにくい自転車。もっともレンタサイクルに走りやすい自転車がないのも承知しているので覚悟の上。手元にある地図は便利なようで、そうでもない。地図を見る限り、宇治山田駅から内宮までは約6キロ。道は比較的一直線。迷いはしない。ところがアップダウンが激しく、予想以上に疲れる。すなおにバスに乗ればいいものを自転車に乗るからこういった苦労がある。
 ただ、伊勢である。伊勢の風を感じながら、伊勢の太陽を全身に浴びながら、私は天照大神のやしろに向かう。バスや車では味わえない醍醐味がそこにはあった。もっとも私にとっては利便の問題でバスでは行きにくい「別宮」にも行く必要性からのレンタサイクルではある。


「皇大神宮(内宮)」(コウダイジングウ・ナイクウ)
 祭神:天照大御神(あまてらすおほみ神・詳細
 東相殿神:天手力男神(あめのたぢからのを神・詳細)/西相殿神:万幡豊秋津姫命(よろづはたとよあきつひめ命・詳細
 由来:創始は第11代垂仁天皇(詳細)の時まで溯る。
倭姫命(詳細)は天照大神をこれまでの笠縫邑(かさぬいむら・奈良磯城郡)から、遷座場所を探して近江、美濃、伊勢を巡っていた。伊勢国で天照大神は倭姫命に「この神風の伊勢国は常世の波が押し寄せる国である。大和から片寄った遠い国で美しい国である。私は此の国に居たいと思う。」と仰せられた。そこで大神の教えのままに社を伊勢に建て五十鈴川のほとりに斎王宮を立て、これを磯宮といった。(詳細は垂仁天皇と祭祀参照)

 自転車はスイスイと駐車場を駆け抜け、宇治橋の正面まで走ってきてしまう。さすがにここで警備員に止められ、警備小屋の隣に自転車を駐輪する。この機動力がステキだった。

 宇治橋。眩しいばかりの日の光を浴びる橋は神域への入口を感じる。この宇治橋の両側にある鳥居のうち内側は内宮、外側は外宮の棟持柱(正殿の中心となる柱)を使い遷宮後に立て替えられる。宇治橋も20年ごと(遷宮の4年前)の際に掛け替えられる。

 橋のたもとで有名な歌を思い浮かべる。

「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」(西行法師)

 普段の私は西行法師があまり好きではない。幼年期の子ども心的に父親の本棚に「西行」と書かれた書物が重圧的に並んでいるのをみて「にしいき」ってなんだ、と思った記憶がある。そんな私の父は「西行研究」の第一人者を自称していたりする。私の素性がばれるとかなり内輪的にヤバいのだけれども、とにかく「西行」は父親の研究素材(父が国文学を研究している反動から私は歴史学を専攻)という意識からあまり好きでなかった。
 しかし、この歌はどうだろう。「神」といういわば空間的・抽象的存在をみごとにに捉えた名歌。この歌がうみだされた空間を前に私の魂は震えてしまう。
 そんな事を思いつつ、内宮を目の前にして静かに一礼。心を落ち着けてゆっくりと「右側」をあるく。
 
 普通の神社は左側通行が一般的。ただ神社の総本社たるべき伊勢の内宮は右側通行。それは川に沿って歩き、「御手洗場(みたらしば)」で五十鈴川に降りて、身を清める必要があるという立地的条件からかもしれない。正確なところはわからないが。

「国民(くにたみ)も 常に心を 洗はなむ みもすも川の清き流れに」( 明治天皇)

 御手洗場の水は意外と奇麗であった。ただ手を洗う程度の奇麗さであり、口にふくみたいほどのものではなかった。それでも小魚が泳いでいるのが目に見えるほどの透明度がある。奇麗な水がある神社が好きだ。自然の清らかなる水がある神社にハズレがないことは私の過去の経験上の印象。

 外宮とは比べものにならないぐらいに人にあふれている。それでいて、私の嫌いな気配はない。人の多い神社というのは通常は嫌いなのであるが、どうしてか心は落ち着いていた。それは人の流れを外れるとよくわかる。90%の割合で人は機械的に前に進んでいる。観察していると参道に面している「手水舎」で身を清めるだけの人も多く、五十鈴川の御手洗場まで降りてくる人はわずかに全体の30%程度(私の見た瞬間の割合だけど)。そして御手洗場の奧にひっそりと鎮座している「滝祭神」(下で記載)まで足を延ばすのは私一人だけ。観光者と参拝者と敬神者。そんな違いがこの割合にあるかと思う。

 しばらく参道をいき、神楽殿・札所を通過して、脇目もふらずに「御正殿」を目指す。
 西側は古殿地、東側に御正殿。石段の先には恋い焦がれた「皇大神宮・御正殿」がある。しかしどうだろう。なんとなくあっさりしていた。映像等でよくみる、お馴染みの光景。そこには新鮮さがなかった。ただこれで満足は出来た。神社趣味として頂点に鎮座している神宮に接することができたのだから。「涙こぼるる」とまではいわないけど、「何かがおわしまする」気配を感じつつ石段を登る。
 拝殿前。一番手前で人の波が絶える一瞬をまつ。あわただしい参拝はしたくなかった。ただ一瞬を待つ。拝殿前に人がいなくなる瞬間、意外と緩慢な動作で「場所」を確保し、私の参拝が始まる。いつも以上に深々と拝す。実のところ、普段の参拝は多少の「演出」が入っている。こんな若造でも真面目に「拝神しているんだぞ」という演出行為が入っている。ところがどうだろう。内宮さまの前ではそんな演出的な参拝心は微塵もでなかった。ごく自然に深々と拝していた。

 参拝を終える。参拝を終えるとあっけなかった。石段の下で撮影して(石段の上からは撮影禁止)、もう一度深々と拝礼。「観光客」が拝殿下で思い思いに記念撮影をしているなかで、ひとり、そんな観光客から言わせれば「あらぬ方向」へと進む。

宇治橋
伊内宮を象徴する宇治橋
五十鈴川
五十鈴川(左が境内地)
境内 左:参道と鳥居 人の流れは止まらない
常に多くの人通り

左下:御正殿前 写真撮影可能場所は石段の下まで
休まることのないあわただしい参拝客の流れ

下:御正殿横影と古殿地 
別宮筆頭「荒祭宮」に至る参道の途中
内宮境内の別宮すらも人影はなかった
御正殿中央の棟持柱が宇治橋の鳥居に使われる
御正殿 御正殿

 観光用のガイドブックにも書いてある。「天」という字に見える「踏まぬ石」がありますよと、御正殿の脇参道から別宮筆頭「荒祭宮」へいたる道も書いてある。ところが、そんな方向へ歩く人は誰もいない。伊勢の内宮にいた多くの観光客は、そのまま札所でお買い物して、「おはらい町」にでも流れるのだろうか。

 古殿地の脇参道を歩くのは私一人。なにやら異常なほどに嬉しい。「御正殿」の横影を望む。こんな光景もあるのに知らずに帰る観光客がかわいそうになるぐらいに、遠望する御正殿は重厚的に御鎮座していた。


「内宮別宮・荒祭宮、風日祈宮」

荒祭宮
 祭神:天照大御神荒御魂(あまてらすおほみ神あらみたま)
 由来:皇大神宮(内宮)第一別宮。延喜式神明帳記載神社。月次・新嘗にあづかる式内大社。天照大神の荒御魂をまつっている。この荒祭宮の荒御魂は一般的な「荒荒しい御魂」としてのアラミタマではなく神霊がその神意をあらわして発動する「顕れ御魂」(アレミタマ)として、変事の際に大神宮正殿とともに荒祭宮も鳴動するとされている。
 荒祭宮は他の13の別宮とは別格であり「神宮」に次ぐ格にある。立地的にも内宮正殿の真北という、いわば内宮の奧殿といったおもむきがある。供物や祭事も正宮と同等に執り行われている。
 内宮の「荒祭宮」と外宮の「多賀宮」に荒魂が祭られているため両社をあわせて「アラタカさま」ともいう。

 御正殿前の石段よりも風情があり、そして神の気配を感じさせてくれる空間を降りていくと、その先に別宮筆頭「荒祭宮」へと続く参道がある。どうして「神宮境内」なのに誰もいないのだろう。そう思いながらこの空間を満喫し、静寂を破るような「柏手」でもって参拝する。

 戻り際に老夫婦がこちらに来るのをみかける。いわば内宮別宮ではじめて見かけた人であった。やはり観光客と参拝客の違いは「別宮」をどう扱うか、というところらしい。

荒祭宮
内宮別宮筆頭・荒祭宮
荒祭宮
荒祭宮

風日祈宮(かざひのみのみや)
 祭神:祭神:級長津彦命(しなつひこ命・詳細)・級長津戸辺命(しなとべ命)
 由来:内宮別宮の風日祈宮と同じ祭神。もとは伊勢の土地神である伊勢津彦命(神武天皇に服従せず、伊勢を退去。その際に大風・波浪をおこし、光り輝きながら東に去った神として伊勢風土記逸文記載)ともいわれている。「神風の伊勢」を象徴している。
 もともとは風神社とよばれ、延喜式神明帳には記載がなく摂社にも末社にもはいらない小社で、風雨の平安を祈る神社として機能していた。
 ただ鎌倉期の蒙古襲来の際に「神風」を吹かせた風神として神威を高め、ついには内外宮の「風社」ともに「別宮」に昇格している。

 神楽殿の周辺が賑やかだった。札所も併設されており、行く人、帰る人、止まる人。流れが滞っている。その神楽殿から鬱蒼としたまっすぐに延びる参道と橋がある。ぽっかりと空間が開いている。まったく人の動きが感じられないその先には「別宮・風日祈宮」へと続く参道と島路川へとかかる「風日祈宮橋」。
 このことは何度も触れている。「どうして誰もいないのだろう」と。外宮の別宮は入れ替わり立ち替わりで数名の参拝者が常にいた。ところが内宮の別宮にはほとんど人の姿を見かけない。それは外宮を訪れる人は「参拝者」であったが、内宮を訪れる多くの人は「観光者」というような「外宮を訪れる参拝者」と「内宮を訪れる観光者」との割合が大きく違うからだろうか。

 風日祈橋。これがまた勿体ないぐらいに、ステキだった。この気分を知らずに帰るとは他人事ながら真にかわいそうであった。

 風日祈宮にいるのは私だけ、といいたいところだけど、ここには小屋があって衛視さん一人だけいた。だがそれでも勿体ないばかりの空間だった。結局、この200メートルの往復区間は誰も歩いていなかった。
 そんな伊勢内宮の姿に魅了されてしまう。大勢の人に圧倒される「御正殿」よりも別宮の方が、あらゆる面で「らしさ」が出ていた。それは「神宮」の一面と静かに対座できる、深深とした神の空間であった。そんな「別宮」が面白くて、楽しくて、嬉しくて、仕方がなかった。

風日祈宮
風日祈宮橋
風日祈宮
内宮別宮・風日祈宮

 あとは私も人の流れに戻り、札所で「御朱印」を頂いて、参集殿で馬鹿みたいに冷水を喉に流し込んで、次の目的地の場所を頭にたたき込んで先に進むだけであった。


「内宮周辺の摂末所管社」
 話は後先になる。内宮境内には別宮以外に「やしろ」もあるし、また境外にも幾つか鎮座している。簡単ではあるけど触れておこうと思う。伊勢においては神宮摂社(44社)=式内社という法則が成り立つけれども、今回は「お伊勢参り」であって「式内社めぐり」ではないので、たまたま近くにあったもの以外の神社には深入りしないことにする。

内宮境内の末社・所管社
「滝祭神」(たきまつり神・内宮所管社・写真下)
 祭神:瀧祭大神
 由来:五十鈴川の水源の瀧の神を鎮めるためにまつられている。古来より社殿はない。御手洗場の先にひっそりと鎮座。

「屋乃波比伎神(やのはひき神)」「宮比神(みやび神)」「興玉神(おきたま神)」(内宮所管社)
 由来:三神とも「皇大神宮」内にあり立入禁止。ヤノハヒキ神は「大宮所の守護神」他二神は「大宮所の地主神」である。

「御稲御倉」(みしねのみくら・内宮所管社・写真下)
 祭神:御稲御倉神
 由来:神宮神田から收穫した稲が納められ、祭につかわれる。古代以来の米保管倉庫の様相。御正殿から荒祭宮に至る参道脇に鎮座。

「由貴御倉」(ゆきのみくら・内宮所管社)
 祭神:由貴御倉神
 由来:御料を納める倉。荒祭宮から神楽殿に至る参道脇に鎮座。

「御酒殿」(みさかどの・内宮所管社)
 祭神:御酒殿神
 由来:御神酒を納める御酒殿の守り神。荒祭宮から神楽殿に至る参道脇に鎮座。

「四至神」(みやのめぐり神・内宮所管社)
 祭神:四至神
 由来:石畳にまつられる石神。内宮の境界を守護。荒祭宮から神楽殿に至る参道脇に鎮座。

「子安神社」(こやす神社・内宮所管社)
 祭神:木華開耶姫神(このはなさくやひめ神)
 由来:もとは宇治館町の産土神。神宮司庁の脇に鎮座。

「大山祗神社」(おおやまつみ神社・内宮所管社)
 祭神:大山祗神(おおやまつみ神)
 由来:山の守り神。神宮司庁の脇に鎮座。

滝祭神
滝祭神(古来より社殿はなく岩座がある)
御稲御倉
御稲御倉(みしねのみくら・・・高床倉庫?)


 普通なら内宮さんのあとは、そのまま「おはらい町」「おかげ横町」散策であろう。ところが私はその手の「観光施設」が大の苦手で、どうにも人の多いところには行きたくない。第一私には、回るべきところが多すぎるハードスケジュールな為にとにかく時間が惜しい。そこは軽く流して(流すのはお勧めしませんが・・・)、内宮の駐車場裏、タクシー駐車場の奧まったところまで自転車を乗り入れる。そこに腰掛けていた休憩中のタクシー運転手は日常的なまなざしで見つめている。ときどきはここまでくる暇人もいるのだろうか。

 そんなタクシー駐車場の裏には「内宮摂社」や「旧林崎文庫」がある。当然誰もいない。下の方では駐車場の喧騒さが感じられるも、一歩足を踏み入れるとそこは「神のやしろ」。石段をのぼるにつれて、小さくとも立派な気配を感じさせてくれ、どことなく楽しくなってくる。

「津長神社」(つなが神社・皇大神宮摂社)
 祭神:栖長比賣命(すながひめ命)
 由来:五十鈴川をさかのぼってくる船の船着き場があったという。天照大神を奉じた倭姫命もここに上陸し、この神社を定めたという。祭神は水の神。石段をのぼった右側に鎮座している。
同座
「新川神社(所管社・祭神:新川比賣命)」<倭姫命が定めた川の神>
「石井神社(所管社・祭神:高水上命)」<石清水の守り神>

「饗土橋姫神社」(あえどはしひめ神社・皇大神宮所管社)
 祭神:宇治橋鎮守神
 由来:宇治橋を守護している姫神。石段の正面、宇治橋を望む地に鎮座している。

「大水神社」(おおみず神社・皇大神宮摂社)
 祭神:大山祗御祖命(おおやまづみのみおや命)
 由来:倭姫命が定めたという。旧林崎文庫に至る石段の右側に鎮座。
同座
「川相神社(末社・祭神:細川水神社)」
「熊淵神社(末社・祭神:多岐大刀自神)」

津長神社 饗土橋姫神社
大水神社 左上:内宮摂社・津長神社

上:内宮所管社・饗土橋姫神社

左:内宮摂社・大水神社

三社とも同一空間に鎮座


 さて、内宮を参拝したあとは、別宮巡りとなる。内宮の入口に「猿田彦神社」があったりするが、それをここで記すとバランスが悪い。そういう伊勢の神宮以外の神社は「別編」で記すこととして、まずは、自転車でこきだした次の目的にすすむことにする。
 次は「月讀宮」ではあるが、ひとまず「内宮編」はここで終了。



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