神のやしろを想う・特別編
壱.「お伊勢参りの風景」(1・外宮編)
はじめに
今回は「お伊勢参り」です。ここでは「神宮」の小難しい話はナシにして純粋に「お伊勢参り」の気分を書こうかと思う。本音を言うと、難しい話を書くほどに私の知識は充実していない・・・。
今回は特別構成「お伊勢参りの風景」は全5編。かなり膨張気味です(笑)。さらには「お伊勢参り後の風景」として続編もあります(苦笑)。
1.外宮編 目次
「伊勢へ」/「豊受大神宮(外宮)」/「外宮別宮・土宮、風宮、多賀宮」
「外宮別宮・月夜見宮」/「外宮周辺の摂末所管社」
2.内宮編
3.月讀・倭姫編
4.瀧原編
5.伊雑・二見編
「伊勢へ」
伊勢に行こうと思った。そんな私は東京駅を23時43分に出発する「ムーンライトながら」の車中。これから約8時間の鉄道旅を迎える前の心情は異様なほどに高まっていた。もちろん伊勢は初めてであった。神社に興味を持つようになってから一年半。ようやくに念願の地へと向かう始まりは、いつもと変わらない「夜行快速」での座席から始まった。
行く前からの懸念がある。初日は伊勢に宿泊し、2日目は桑名に宿泊する。私はどうしても伊勢の正宮2宮に別宮14宮のすべてが回りたかった。しかしどうしても時刻表の構成上、上手くいかない。最初に「瀧原宮」を参拝すると上手くいくが、これは精神的によろしくない。やはり参拝は「外宮」「内宮」から行いたかった。車中でかなり強引なスケジュールが完成する。そんなスケジュールは普通の感性ではなかった。あとは伊勢のレンタサイクル次第というアバウトな予定しか立てられずに、電車だけは東海道を進んでいた。
唐突だが、東海道「熱田宮の宿」から「桑名宿」までは七里(約28キロ)。この区間を東海道の「七里の渡し」という。そんな揖斐川の河口の桑名は東海道42番目の宿。桑名側の河口近くには「大鳥居」がそびえ立っている。「伊勢神宮一の鳥居」とされるもので、桑名は東海道から伊勢に参宮するための伊勢街道の玄関口であった。
私は伊勢に直行した翌日に桑名にたちより、そして最後は熱田であった。初日に伊勢に参拝し、伊勢で一泊。2日目に伊勢国内を北上して桑名に一泊。3日目に桑名から熱田を経由して東京へという、奇しくも参宮経路を逆行するかたちとなった。別に何かを狙っていたわけではなく偶々の産物。第一、私の予備知識には桑名に伊勢一の鳥居があるという概念は最初はなく、別の理由から宿が桑名になっただけであった。とにかく話は後先であるが、東海道・熱田−桑名の七里の渡しを渡った気分だけは持っていたいと思う。
もうひとつ、蛇足的に加えたい。江戸時代には「お伊勢参らば朝熊(あさま)かけよ。朝熊かけねば片参り」といわれ、伊勢の神宮とともに朝熊の金剛證寺も参拝するのを常とした。それは今も変わっておらず「定期観光バス」は外宮を無視するも内宮と金剛證寺はきちんとおさえてある。ところが、何といわれようが「寺院」に参拝する気はない。せっかくの伊勢なので時間が許せば寺院も良いのだけれども「伊勢別宮」をもすべて参拝するという目標を掲げている限り時間的余裕はどこにもない。だから「片参り」もおおいに結構。
そのかわりというか、当初からの予定として北伊勢の「多度大社」に行く予定はあった。多度大社は別名「北伊勢大神宮」ともよばれ、朝熊とまったく同じように「伊勢にまいらば多度をもかけよ。お多度まいらにゃ片まいり」ともいわれている。神社趣味としては「多度大社」の方が似合っているわけで、そう言う意味からも2日目は「桑名」に宿を設けたともいえる。いずれにせよ「多度大社」に関してはのちほど書きます。
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左:ムーンライトながら
ながらで「お伊勢参り」をする奴も珍しい・・・。
左下:尾張国・東海道熱田宿側の「七里の渡し」跡
伊勢参拝の2日後に訪問
下:伊勢国・東海道桑名宿側の「七里の渡し」跡
鳥居は神宮一の鳥居とされる
やっぱり伊勢参拝の2日後に訪問
桑名の鳥居周辺は平成14年現在、工事中・・・ |
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ムーンライトながらの名古屋到着は6時5分。すぐさま近鉄線6時11分の急行に乗り換えると、近鉄宇治山田駅は7時52分であった。眠い眠いとうとうとしていたら「伊勢」が近づいていたわけで、どことなく伊勢の近さを感じてしまう。お伊勢参りの気分も半端なままの私の初めての伊勢入りであった。
当初の計画では宇治山田駅でレンタサイクルを行う予定であった。ところが貸し出しは9時から。いたしかたがないので「外宮」に歩いて行こうと思う。もっとも伊勢参拝の順序も外宮から内宮へという順路なのでそこは何も問題ないし、予定通りともいえる。
「豊受大神宮(外宮)」(トヨウケ大神宮・ゲクウ)
祭神:豊受大御神(とようけのおおみかみ・詳細)
由来:第21代雄略天皇の夢に天照大御神があらわれ、「自分は独り身でさびしいから、朝夕に奉る御饌の神として丹波比治の真名井原よりトヨウケ神を向かえよ」と告げられ、雄略天皇29年に度会の山田原におむかえしたことに始まるとされている。
いつもの参拝している神社と同じような感覚はする。しかしやはり「伊勢」。どこか違う気分にさせられる。それは単純な心の高ぶりでしかないかもしれないけど、この気分が「神社に拝する」ときには大切であった。
おもった以上に人が少なかった。伊勢はもっと賑わっているかと思ったけれども、予想以上に静まりかえっている。考えてみれば私は外宮にいる。観光に忙しい人びとは「外宮」を素通りするという。そのもっともたる見本は「定期観光バス」のたぐいで、外宮を素通り。畏れ多いことに「車窓参拝」とか書いてあり、そんなバスは内宮さんとおかげ横町を重視して、あとは朝熊・二見・鳥羽となってしまう。そんな外宮はだからこそ良かった。
地元の人とわかるお婆さんが参拝している。伊勢の独特の参拝方式。ひざまづいて頭を下げながらパンパンと四拍手する参拝方式。これができるのが地元の人。私はさすがにそんな勇気もないので、普通に二拝一柏手一拝のいつもどおりの参拝。
不思議と心穏やかになる瞬間。朝の九時前に、私はもう充実心で一杯だったというのもなにやらおかしかった。もううれしくて仕方がなかった。ついに恋い焦がれていた伊勢を体感したのが。
もっとも「外宮」で感動するのも、いささか気が早すぎるが。
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左上:外宮鳥居
上:外宮。鳥居の内側からは撮影禁止
左:外宮摂社・田上大水神社付近から望む
外宮境内林と高倉山 |
札所。以前、あるサイトで「外宮には朱印帳を置いていない」という話を聞いた。参拝順序は外宮から内宮へという順路なのに朱印帳がないというのもヘンな話ではあるが、以前はなかったらしい。今はわからないけど確かに眺めてみると置いていないような気もする。神職さんに「朱印帳は外宮さんにも置いてありますか。内宮さんに行かないとないですかねえ」といささか内輪を察するかのような切り出しをしてみると、きちんと「ありますよ」返答してくれる。これで、どうやら私は「朱印帳」を買い「御朱印」集めに奔走することになりそうだった。
今の今まで、私は多くの神社に参拝していたが「御朱印」(いわゆる参拝記念に寺社から授かる印)を頂こうとは思っていなかった。やり始めるとキリがないと自肅もしていた。
ところが伊勢である。どうにも伊勢であった。そんな自肅も吹っ飛んで「御朱印」を頂戴する。外宮さんで頂いた朱印帳は1000円。この先、参拝神社ごとに朱印を頂き300円(一回の朱印の相場が300円。自肅していたのにそういうことは知っている。)を納めていく、とやはりキリがないような気がする。こうなると今まで貰っていなかった神社に再訪して「朱印」を貰いたいとも思い始めてくる。・・・無限地獄というのかもしれない。せいぜい、私が本心から気に入った神社に、300円を納めて朱印を貰うに留めたいと思う。(このあと、幾つか参拝するも伊勢以外では本当に気に入った所〔椿大神社・多度・真清田・熱田〕の御朱印しか頂かなかった。ヘンな神社の朱印を「伊勢の神宮」が揃えてある朱印に並べたくなかったので)
「外宮別宮・土宮、風宮、多賀宮」
土宮
祭神:大土御祖神(おおつちみおや神)
由来:もともとは外宮の敷地(山田原)の地主神であり、風宮の向かいに東面している。この別宮は延喜神明帳に記載されていない。宮川の氾濫を治める堤防守護の神とされる。
外宮別宮・土宮 |
風宮
祭神:級長津彦命(しなつひこ命・詳細)・級長津戸辺命(しなとべ命)
由来:内宮別宮の風日祈宮と同じ祭神。もとは伊勢の土地神である伊勢津彦命(神武天皇に服従せず、伊勢を退去。その際に大風・波浪をおこし、光り輝きながら東に去った神として伊勢風土記逸文記載)ともいわれている。「神風の伊勢」を象徴している。
蒙古襲来の際に「神風」を吹かせた風神として神威を高め、ついには内外宮ともに「別宮」に昇格している。延喜式神明帳には記載なし。
外宮別宮・風宮 |
多賀宮
祭神:豊受大御神荒御魂
由来:外宮第一の別宮。荒御魂を祭る。延喜式神明帳記載社であり月次・新嘗に預かる大社とされる。多賀宮は高宮ともいい、内宮境内でもやや小高い丘の上に位置している。
外宮別宮・多賀宮 |
正宮に比べ、圧倒的に神聖さを感じてしまう空間。同じ境内でも「別宮」には興味を持つ人が少ないのか、人的密度も少なくなる。こういう場所を参拝する人は、本当に「伊勢参り」をしている人と地元の人だけだな、と実感してしまう。
ちなみに別宮の位は、第一別宮「多賀宮」、以下「土宮」「月夜見宮」「風宮」と続く。続いて「月夜見宮」に行こうかと思う。
「外宮別宮・月夜見宮」
祭神:月夜見尊(つきよみ尊・詳細)・月夜見尊荒御魂
由来:御祭神の月夜見尊は天照大神の弟神。内宮別宮の「月讀宮」と同神であるが、外宮別宮では「月夜見」と表記する。紛らわしいので外宮別宮を「ツキヨミさん」、内宮別宮を「ゲツドクさん」と呼び分けているともいう。月夜見尊は、その光彩が天照大神につぐものであるとたたえられており、御威徳は太陽につぐ月になぞらえられている。
内宮外宮では「月讀尊」「月讀荒魂」にそれぞれわけて祭られているが、外宮別宮・月夜見宮ではひとつの御殿にまつられている。当初は外宮筆頭摂社であったが、鎌倉時代初期に別宮に昇格した。
月夜見宮の鎮座地はJR伊勢市駅から南に徒歩10分。伊勢市の中央に鎮座し、古くは高河原とよばれた農耕の地であった。境内には宮川の高河原といわれた当地の開拓守護神として、外宮摂社の「高河原神社」(祭神・月夜見尊御魂)も鎮座している。
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左上:外宮別宮・月夜見宮
上:外宮別宮・月夜見宮
左:外宮摂社高河原神社(月夜見宮境内) |
まだ9時にならないので「月夜見宮」まで歩く。外宮前から道は一直線に伸びており北に歩くこと300メートルで小さいながらもしっかりとした社叢が見えてくる。
宮司さんが掃除をしている。他には誰もいない。そんな中で参拝をして、社務所で朱印を頂く。この最初の別宮と摂社はまだ楽しかった。ところが別宮は良いとしても摂社はどこもおなじように見えてきて、途中でバカバカしいばかりに疲れてしまった。
一歩外れると雰囲気が変わる。そんな雰囲気を味わう。ちょうどタクシー参拝をしている老夫婦がやってきたようで、境内入口でタクシーの運転手が参拝待ちの暇をしていた。なぜだか私と話をする。「次はどこに行くの?」「そうですねえ。内宮さんに行こうかと思っています。」「月讀さんや倭姫さんはいかないの?」「いえ、内宮さんのあとで参拝するつもりです」なぜだか参拝順序を確認させられてしまう。ここで「さん」づけで話しているのもまったく違和感がなかった。私も地元の人のように溶け込んで親しんでいるのがなにやらおかしかった。
「外宮周辺の摂末所管社」
外宮周辺に神宮管轄の神社がいくつかある。摂社以上のほとんどが「延喜式神明帳」記載の式内社というが、式内社を追いかけてもきりがないので、そこは軽く近所の神社だけを参拝することにする。内宮・外宮の近所以外に参拝をはじめてしまうと、それこそ神宮及び摂末所管社合計125社参拝などをしてしまうかもしれない。そこははじめての伊勢なので自肅しておく。
外宮境内摂末所管社
「度会国御魂神社」(わたらいくにみ神社・外宮摂社)
祭神:彦国見賀岐健與束命(ひこくにみがきためよつかの命)
由来:度会神主の祖、天日別命の御子をまつる。外宮境内西側。
「大津神社」(おおつ神社・外宮末社)
祭神:葦原神
由来:もとは五十鈴川河口の守護神。明治6年にこの地に再興。外宮境内西側。
「上御井神社」(かみのみい神社・外宮所管社)
祭神:上御井鎮守神
由来:神宮の御料水の守護神。一般の立ち入りは出来ない。大津神社奧から遙拜。
「御酒殿」(みさかどの・外宮所管社)
祭神:御酒殿神
由来:御神酒を納める御酒殿の守り神。御正殿裏の忌火屋敷の奧。立入禁止。
「四至神」(みやのめぐり神・外宮所管社)
祭神:四至神
由来:外宮の境界を守護。御正殿の脇。
「下御井神社」(しものみい神社・外宮所管社)
祭神:下御井鎮守神
由来:神宮の御料水の守護神。外宮境内鎮座の3別宮の奧。
外宮の境内ではあるが、境内から行けない東側に神社が点在している。これらはこのあと借りたレンタサイクルで参拝したけれども、ここに記載をしておく。
外宮の森を道なりに東に進むと、豊宮崎文庫跡の向かいに鎮座しているのがわかる。
「度会大国玉比賣神社」(わたらいおおくにたまひめ神社・外宮摂社)
祭神:大国玉命・弥豆佐佐良比賣命(みずささらひめ命)
由来:度会地方の地主神をまつる・鎮座地は外宮境内の東側、外側の道路から入る。同地に「伊我理神社」も鎮座。
「伊我理神社」(いがり神社・外宮末社)
祭神:伊我利比女神社(いがりひめ命)
由来:外宮の御神田に関係の深い神社。伊我理神社同座として「井中神社(外宮末社・井中神・御神田の井泉の神)」。
そこからさらに道なりにすすむと、薄暗く狭い空間に南向きに鎮座している神社がある。(自転車で3分)
「山末神社」(やまずえ神社・外宮摂社)
祭神:大山津姫命
由来:御田口の泉の神
「山末神社」から材木置き場を挟んだ緑の空間。瀬田川にそったところにも神社がある。(自転車で3分)
「田上大水神社」(たのえおおみず神社・外宮摂社)
祭神:小事神主(おごとかんぬし)
由来:丸山さん、車塚ともよばれる。外宮の度会神主四門の祖をまつる。
「田上大水御前神社」(たのえおおみずおまえ神社・外宮摂社)
祭神:宮子(みやこ)
由来:小事神主の娘をまつる。田上大水神社の同じ境内に鎮座。
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左上:度会大国玉比賣神社
上:山末神社
左:田上大水神社 |
他に外宮所轄として別宮「月夜見宮」境内の「高河原神社」(上記載)もある。
いづれにせよ、式内社ですよ、といわれようともみんな同じに見えてしまう。どうにもこれには困った。おまけに伊勢の神社であるから大なり小なり「式年遷宮」でやしろ自体も新しい。新しいのもいいけど、なんとなく疲れが蓄積され思考も低下してしまう。
次はいよいよ内宮さんに行こうかと思う。
「2.内宮編」にすすむ
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