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「郷土の鎮守様〜港区北西部の神社散歩」

<平成22年参拝/23年9月記載>

平成22年7月17日参拝
 1「秋葉神社」(金王八幡宮境外末社)
 2「大松稲荷神社」(金王八幡宮境外末社)

平成22年11月20日参拝
 3「船光稲荷神社
 4「三河稲荷神社」(単立神社)
 5「末広稲荷神社
 6「赤坂氷川神社

平成23年1月4日参拝
 7「久国神社
 8「出雲大社東京分祠

<港区の神社>
郷土の鎮守様〜港区中央部の神社散歩」前回
郷土の鎮守様〜港区北部の神社散歩」今回
「郷土の鎮守様〜港区南北中央部の神社散歩」次回

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さらりさらりと掲載していきます。



「秋葉神社」<港区北青山鎮座(金王八幡宮境外末社)>

御祭神:秋葉大神・稲荷大神・御嶽大神

金王八幡宮の境外末社と称される。
文政10年(1827)6月の創立といわれ、昔は青山善光寺境内で鎮守本社として奉祭される。
明治維新後、神仏分離。御祭神は稲荷大神・秋葉大神・御嶽大神を奉斎するゆえに三社様とも、また秋葉神社とも俗称する。
青山鎮守として火防神としても尊重されていきた。
戦災によって鉄筋の本殿以外を焼失。そののちに氏神金王八幡宮大修理の際の仮殿を譲り受けて移築し拝殿とした。
平成10年に社務所を新築している。


表参道駅を出てすぐの場所に鎮座。社殿は南向き、まさしく表参道を向いている。
周辺は賑々しく、神社前も集合場所であり、溜まり場にもなるような環境。
それでも鳥居の中に入れば空気が変わるのがせめてもの救い。
社殿は平成10年新築。狛犬は大正14年の銘あり。



大松稲荷神社<港区南青山鎮座(金王八幡宮境外末社)>

御祭神:宇迦之御魂命

当社はもとは金王八幡宮の境外末社とされていた。
通称は大松稲荷、または仲町稲荷。
往時、この地に巨松一株があり霊松と称えられていたが暴風雨によって折れてしまい根株のみを残し、その上に社殿を造営したという。今も社殿床下に巨大松の根株を残していると伝承。

昭和の戦災によって社殿そのほか全てを焼失。焼け残った民家の古社を仮殿とし、そののちに明治神宮御造営の残材払い下げを受けて社殿を新築した。


大きな松が目印の神社。表参道駅を東に進むと社殿が道路に沿って当面している。
さほどに広くはなく空間であるが、幟がはためき木々の鬱蒼を感じることができる稲荷らしい空間。



「船光稲荷神社」<港区南青山鎮座>

御祭神:宇迦之御魂命

寛文2年(1662)3月22日の創建。
往時、この付近に居住した渋谷長者の勧請で、一族代々の崇敬が篤った。霧島神社とも別称。また長者稲荷、船光稲荷とも称した。
渋谷長者没後は里人の守護神として信仰され現在に至る。

船光とはこの付近に滝川があったための呼称とされ、往時は広大なる入海にて長者丸という千石船の船着場であった。
ある時長者丸が暴風雨にあい沈没寸前のところで社殿より五色の御光が射しその加護により難を逃れたと伝承され、船乗りの崇敬が篤く、船光稲荷として崇敬されてきた。

昭和20年5月25日の戦災により社殿その他を焼失。仮殿にて祭祀を営み、昭和35年に社務所を新築、昭和40年に社務所を増築した。


表参道から青山通りを東に進み、外苑西通りの手前を南下する。
いまでこそ高級住宅地ぽいエリアの中に鎮座している。
社殿は南面。
境内は小さいながらも、きれいに清掃されており、水まわりも大変きれい。水が綺麗というだけで心地よいものです。



「三河稲荷神社」<港区南青山鎮座・単立神社>

祭神:宇迦之御魂命

天正の初め頃に五十人組の者が三河国より移住の際に奉斎したことに始まる。
天正19年(1591)に神田組屋敷において勧請され、貞享のころに青山庄組屋敷に遷座。
昭和20年に戦災により社殿焼失。昭和24年に社殿再建。
昭和50年に現在地に遷座。社殿を新築し昭和51年に社殿鳥居等の境内整備完了。


青山霊園の北西側。外苑前駅の150メートル南に鎮座している。社殿は東面。境内の入口は北側からなので折れ曲がりのレイアウト。
社殿前は窮屈で写真を撮るにはスペースが厳しい空間。社殿の規模は土地の大きさと比較すると大きめといったところか。稲荷らしい社殿。



「末広稲荷神社」<港区赤坂鎮座>

御祭神:宇迦之御魂命

幕府黒鍬同心の鎮守として元禄14年(1701)4月鎮座。同心によって累代崇敬されてきたが明治維新後に氏子の同心が離散してからは付近の住民が維持崇敬。
昭和20年5月の戦災にて社殿焼失。昭和32年9月に社殿再建。


青山一丁目駅、赤坂駅の中間あたり。赤坂御用地を南に行ったところに鎮座している。
ちょっとした斜面に鎮座。地名の通りの赤坂。何気に界隈は坂が多いのだ。
隣には大きくパークコート赤坂ザタワーがそびえ立っていた。



「赤坂氷川神社」<府社・東京十社のひとつ・港区赤坂鎮座>

 御祭神:素戔嗚尊(スサノヲ神)
     奇稲田姫命(スサノヲ神の妻)
     大己貴命(大国主命)

創立は村上天皇の天歴5年(951)武州豊島郡人次ヶ原(赤坂4丁目一ツ木台地・赤坂小学校の台地)の創祀という。
後冷泉天皇の治歴2年(1066)の関東大旱魃には降雨を祈つたとされ、以来祭事が盛んであった。

江戸時代には徳川家の崇敬が篤く、享保15年(1731)には徳川吉宗の命を受けた老中岡崎城主の水野和泉守忠之によって現在の社殿が造営され豊島郡赤坂今井台(現在地赤坂6丁目)に5月26日に遷宮。28日には徳川吉宗の直拝を仰いだ。

江戸七氷川の筆頭とされ、明治元年11月8日に准勅祭社に定められた。東京十社(他九社は日枝・神田・富岡・根津・芝大・品川・亀戸・王子・白山)の巡拝コースの一社でもある。

なお赤坂氷川神社移転前の、元禄期のこの地は浅野土佐守邸跡(都旧跡)で浅野内匠頭夫人の実家であり、大石内蔵助が討入前に訪れて別れを告げた雪の別れの「南部坂」が近くにある。

境内にある『四合稲荷』は付近に居住していた勝海舟が周辺社を合祀した際に命名したものという。

公式サイト:http://www.akasakahikawa.or.jp/


赤坂氷川神社史蹟 浅野土佐守邸跡
浅野内匠頭夫人を幽居した場所(実家)という。
講談などで語られる「南部坂雪の別れ」に出てくる南部坂はここから東北方にある。

四合稲荷神社
近隣の稲荷社を合祀。
赤坂在住の勝海舟により
「四合(しあわせ)稲荷」と称された。

西行稲荷社
享保年間に西行五兵衛と異名を持つ男が勧請

さすがに赤坂氷川神社。この界隈ではかなり大きい鎮守様。以前に参拝をした時は社殿修復中であったので、その後に参拝したのは今回が始めて。漆の朱色が艶に映える社殿はちょうど紅葉の時期とも重なり、慌ただしく参拝をする私の心にも待ったがかかる。
ここはゆっくりしていかねば、と。
紅葉を楽しみながら、持てる時間をギリギリまで伸ばして境内にて過ごす。
丁度、これから結婚式が執り行われるようだ。綺麗に着飾った人々が集まり始めたので、ゆるりと立ち去ることにしよう。



「久国神社」<港区七福神のひとつ・港区六本木鎮座>

御祭神:倉稲魂命

創建年代は不詳。
古くは千代田村紅葉(現皇居内)に鎮座していたという。
長禄元年(1457)太田道灌が江戸城を築城し、寛正6年(1465)溜池に城堀の鎮守として遷座。のちに久国作の刀が寄進されたので久国稲荷神社と称するようになった。
永禄3年(1560)その地が公用に属したために寛保元年(1741)に現在地に遷座。
昭和20年10月25日に社号を久国神社と改称した。
昭和24年に境内地を拡張し昭和28年に社殿を再建。


久国神社社号標は東郷平八郎謹書

昭和15年造の鳥居

昭和18年銘の狛犬

昭和18年銘の狛犬

赤坂氷川神社の300メートルほど南東。ここまで来ると六本木一丁目駅・六本木通りが近い。
六本木一丁目交差点から、50メートルほど北の台地にはいったところに鎮座。社殿は南西を向いている。
こちらを訪れた時は丁度正月明けということもあり、港区七福神巡りで賑わっていた。



「出雲大社東京分祠」<港区六本木鎮座>


御祭神:大国主大神

出雲大社八十代宮司で出雲大社教初代管長であった千家尊福氏が東京及び東日本の出雲大社御神徳宣布のため明治11年1月11日に千代田の神田神社社務所内に「出雲大社東京出張所」を設けたのにはじまる。

神田神社は出雲大社と御祭神が同じでであり、当時の宮司は平田学派の平田盛胤氏であったことから関係も深く、初代出張所長は本居宣長の学統を継ぐ本居豊頴氏であり出雲派の拠点であった。

明治15年5月に麹町に出張所は移転し、明治16年5月4日に社殿が建立され、出雲大社東京分祠が新たに鎮座。
明治22に麻布区材木町(港区六本木7丁目)に遷座。

昭和20年5月25日、戦災にて社殿焼失。昭和36年12月31日に木造の社殿が現在地に再建。
昭和55年に鉄筋コンクリートにて現在の社殿に改装されていいる。

境内にある「祓社」社殿は、かつて実践女子学園校内の「香雪神社」を移設。この下田歌子女史を祀っていた「香雪神社」は戦後にGHQに気兼ねをして廃絶。なお、狛犬と西鳥居は金王八幡宮境内の御嶽神社に移設されている。

公式サイト:http://www.izumotaisya-tokyobunshi.com/


出雲大社東京分祠

「祓社」 元は香雪神社社殿という。

後日、別の日に頂戴致しました。なお出雲大社と同一の御朱印帳も拝受可能です。

六本木の界隈。振り向けはそこにヒルズがそびえる六本木六丁目の交差点も鎮座。社殿は北面している。
鳥居はなく、ビルと一体化した三階部分に社殿が鎮座している。出雲らしさを感じるとすれば三階の建物。屋根の雰囲気をみてようやくに出雲系統であることを感じる。
御朱印帳は出雲大社門前の売店で頒布しているものと同じもの。出雲大社では社務所では取り扱いがなく門前売店であったが、東京分祠では拝所脇の御守授与所での取り扱いであったので出雲大社教公認と考えてもさしさわりはあるまい。



参考文献等
各神社境内の案内板等
東京都神社名鑑

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