沙本毘古王の反乱と沙本毘売命
日子坐王(前述)の皇子であった沙本毘古王(さほびこのみこ・前述)は垂仁天皇(前述)の后となっていた妹の沙本毘売命(さほびめのみこと・前述)に尋ねて「夫と兄とどちらがいとおしく思うか」と言ったのに対して、妹は「兄の方をいとおしく思います」と言った。そこで常日頃から自分が天皇位につくべきだと思っていたサホビコははかりごとをめぐらし、妹に「お前が本当に私をいとおしいと思うならば、私とお前で天下を治めよう」と言い、鍛え上げた鋭い小刀を妹に授けて「この小刀で天皇が寝ているところを刺し殺せ」と言った。
垂仁天皇は、そんなはかりごともしらず、后であるサホヒメの膝でお休みになっていた。そこで后は兄に言われた通り天皇の首を刺そうと、小刀を三度振り上げたが、哀しい気持ちが抑えられず、首を刺すことが出来ず、涙が天皇の顔の上にこぼれ落ちた。その時に天皇は目を覚まし、后に「私は不思議な夢を見た。佐保(佐本毘古王の本拠地)の方から、にわか雨が降ってきて、急に私の顔をぬらした。また錦の文様のある小蛇が私の首に巻きついた。これは何のしるしだろうか」と仰せられた。
サホヒメは、もはや抗弁できないと思い、そのまま天皇に「私の兄のサホビコが私に『夫と兄とどちらがいとおしいか』と尋ね、こう面と向かっていわれると堪えられず私は『兄の方をいとおしく思います』と答えました。すると兄は私に『一緒に天下を治めよう。だから天皇を殺せ』と言われ、小刀を私に渡しました。それでお首を刺そうとしましたが、哀しい気持ちで刺すことが出来ず、涙がお顔をぬらしたのです。夢は、きっとこの事でしょう」と申し上げた。
天皇は「あぶないところだった」と仰せられ、ただちに軍勢を揃えてサホビコを討とうとしたが、その時サホビコは砦(稲城)を築いて迎え撃った。サホヒメは兄を思う情に堪えかねて、裏門から逃げ出し、兄の砦に駆け込んでしまった。その時、后は身重だった。それゆえ天皇は后をいとおしく思い、軍勢で城を囲んでも攻めることはしなかった。
そうしている間に、后は身ごもっていた御子を出産した。そこで后は御子を城の外に置き、天皇に使いを遣わして「もし、この御子を、天皇の御子と思し召すなら、受け入れてください」と申し上げさせた。すると天皇は「その兄を恨んではいるが、やはり后はいとおしい」と仰せられ、后を取り戻そうとお考えになった。
そこで力持ちで敏捷な兵士に「御子を引き取るときに、同時に母君も奪い取れ。髪だろうが手であろうが、どこでも取り捕まえて、引き出すがよい」と命じた。一方で后も天皇のお心を分かっており、それに対する準備をしていた。そうして準備をした上で御子を抱いて砦の外に差し出した。兵士が御子を受け取り、母君も捕まえたが、髪を握ると自然に落ち、手を握ると手に巻かれた玉の緒がちぎれ、衣服をつかむと、たちまちに破れてしまい、御子は得られたが、母君を連れ戻すことは出来なかった。兵士の奏上をきいた天皇は失敗を悔い、兵士を恨み、さらには玉を造る職人も恨んで土地を取りあげてしまった。
天皇は后に「この名前は母がつけるものだ。この子の名はどうしたらよいか」と仰せられると、后は「今、稲城を焼くに当たって火の中で産んだ(コノハナサクヤヒメの例と同じく火の中での御子は天の御子(天皇の御子)の証明・前述)のですから、その名は本牟智和気御子(ほむちわけのみこ・前述)とつけたらよいでしょう」と申し上げた。また天皇は「お前が結んだ下紐は、誰が解いてくれるのか」(后は誰がよいかの意。男女が互いに結んだ下紐は他人に解かせない風習)と仰せられると、后は「旦波比古多多須美知能宇斯王(たにはのひこたたすみちのうしのみこ・日子坐王の子・前述)に兄比売(えひめ・サホヒメの姪・前述)弟比売(おとひめ)という姉妹がいます。彼女らは忠誠な民です。ゆえに二人をお召しになるのがよいでしょう」と申し上げた。
そのようにして天皇は攻撃を控えてきたけれども、ついに反乱を起こしたサホビコを殺し、サホヒメは兄を説得できなかった事を恥じて兄に殉じてしまった。
* 書記ではサホヒメは丹波の美知能宇斯王の娘5人を推挙され、1人が返されている。
* 古事記では2人の姉妹が推挙され、その姉妹4人がのちに丹波からつれてこられたが2人は返されてしまう。その顛末は後述。
* 古事記記載の后のうち姉妹である比婆須比売命と沼羽田之入毘売命と阿邪美能伊理毘売命(3人とも前述)は垂仁天皇の后となっている。
* 人数が一致せず、さらには人の名前も一致しない。詳細不明。
前に戻る