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調布市内の神社 一覧


調布市内の神社 google地図


調布市内の神社庁所管神社

調布市内の神社庁所管外神社

調布市内の小祠
調布市内の稲荷小祠
調布市内の小祠碑
調布七福神



調布市内の神社庁所管神社

(赤字は確定している祭礼日/平成23年度版)
布多天神社
氏子地区(旧称) 
・上布田
・下布田
・小島
・上ヶ給
主祭神
・少名彦名命
・菅原道真
メモ
・本務社
・旧社格/郷社
・延喜式内社
公式サイト
創建年代は不詳。一説に垂仁天皇の頃創建という。
文明9年(1477)に多摩川の洪水をさけ旧鎮座地「古天神」から現在地に遷座。
そのときに少彦名命に菅原道真公を配祀したとされる。
本殿は宝永3年(1706)造営。覆殿は昭和40年、幣拝殿は昭和60年の造営。

調布ヶ丘1-8-1 <地図

9/23 神幸祭 12時 神幸の儀/みたまうつし/太鼓・神輿・山車巡幸
9/25 大祭  10時 大祭式/奉納里神楽(薪夜神楽)


社殿
境内社

大島神社 金比羅神社
境内社

武州御嶽社・祓戸社・疱瘡神
境内社

厳島神社

---
境内社

稲荷社
境内社

稲荷社

若松稲荷神社
氏子地区(旧称) 
・小島
主祭神
・倉稲魂命
メモ
・布多天神社兼務
創建年代不詳。

調布市小島町1-8-9 (布多天神社境外末社) <地図

2月初午?


上石原若宮八幡神社
氏子地区(旧称) 
・上石原
主祭神
・仁徳天皇
相殿神
・四社神社(M42合祀)
   第六天
   牛頭天王
   秋葉権現
   天満宮
メモ
・布多天神社兼務
創建年代は不詳。延宝4年(1676)以前には創建していたといわれる。
武蔵風土記に宿の鎮守にて鎮座の年暦を伝えずと記載される神社。。
本殿は文化4年造営(調布市重要建造物第一号)。拝殿は昭和38年に新築。
本殿は覆殿内に立ち、一間社流造り、総ケヤキ造り。
江戸時代後期の神社建築の様相をよく残しているという。
境内末社に辰巳稲荷社。

下石原3-5-1 <地図

(以前の祭礼日)9/14-15?
9月第3土日(H23/9/17-18)

社殿

上石原若宮八幡神社

明治35年に村内4小祠(第六天・牛頭天王・秋葉権現・天満宮)を
鎮守境内に向かい合う形で祀ったが、明治42年に鎮守若宮八幡社殿内に合祀した。
境内社

稲荷社

下石原八幡神社
氏子地区(旧称) 
・下石原
主祭神
・応神天皇
メモ
・旧社格/村社
当地の領主であった太田善右衛門の勧請にかかったものとされている。
明治4年村社列格、大正4年に無格社あわせて稲荷社を合祀。

富士見町2-1-11 <地図

(以前の祭礼日)9/30-10/1 
→ 10月第1土曜 神輿・太鼓町内巡行
→ 10月第1日曜 13:00 大太鼓・神輿・太鼓・獅子舞町内巡行
→ 10月第1日曜 15:30 獅子土俵舞 

社殿

下石原八幡神社
境内社

稲荷社・神明社・御嶽社
境内

正面に「堅牢地神」。
天保13年造。伝承なし。
境内

弘化3年造立。
秋葉社・神明社・八幡社の刻銘。

道生神社
氏子地区(旧称) 
・飛田給
主祭神
・宇気母智命
相殿神
・山王様(M17合祀)
メモ
・布多天神社兼務
創建年代は不詳。古くは上石原八幡の分社ともいわれている。
道生社・飛田社・祇園社・八幡社の4社を祀る。
明治17年に飛田神社(稲荷社)と道生神社(山王社)を合祀して道生神社と改称。
旧社地は昭和18年に調布飛行場用地とされたため現在地に遷座。

調布市飛田給2-39-20 <地図

9月第3土日(H23/9/17-18)


國領神社
氏子地区(旧称) 
・国領
・矢ヶ崎
主祭神
・神産日命(大六天)
相殿神
・天照皇大神(M38合社)
メモ
・本務社
・旧社格/村社
公式サイト
かつて国領神社は「第六天社」と呼称されていた。第六天社の創建年代は不詳。
「第六天社」は鎌倉時代のころまでは多摩川のほとり『杉森』の地に鎮座。
度重なる洪水に見舞われ1640年頃に管理寺であった常性寺が甲州街道筋に移動した際に
国領町148番地(現在の八雲台一丁目・八雲台小学校裏の都営住宅の所)に遷座。
その後、明治社格制度で「村社」に列格。社号改称し「国領神社」と呼称。
杉森の地には「第六天社」のほかに「八雲神明社」もあり「杉森神明社」とも呼称されていた。
八雲神明社は荻窪・小川・小林等の一族が鎌倉より移住して祈願した事に始まるという。
八雲神明社も常性寺の管理下にあり、建速須佐之男命・天照大御神を祀っていたが、
やはり1640年頃に常性寺が甲州街道筋に移動した際に現在地(国領町一八二番地)に遷座。

それぞれの神社が独立をしていたが、
昭和37年に旧国領神社境内地隣に都営住宅が建設される事となり、やむなく境内地を移譲。
昭和38年に旧国領神社が八雲神明社に境内に遷座し、
社名を改めて「国領神社」として総称する事となった。

国領町1-7-1 <地図
4/12 春例大祭
10/体育の日前日の日曜 神輿渡御
10/12 秋例大祭


社殿
境内社

八雲稲荷(萩窪稲荷)
大正11年2月建立。
北条氏の落ち武者の萩窪玄蕃守が当地に屋敷を構えその鬼門除けに祀ったのを始まりとする。
村の神明社境内に祀られていたが、昭和38年に神明社境内に國領神社(第六天社)が造営されたので、現在は鎮守末社となっている。
約40軒で稲荷講中を結成。

カサモリ稲荷
カサマ稲荷とも称される。
祭祀者不明。昭和38年に元の祭地の第六天社の遷座と共に現在地に遷座。

糟嶺神社
氏子地区(旧称) 
・入間
主祭神
・糟嶺大神
メモ
・国領神社兼務
・旧社格/村社
創建年代は不詳。鎮座地は多摩郡の4つの墳陵の一つといわれ「丸山」と称していた。
往古は墳陵の下に鎮座していたが、宝暦8年(1759)に墳陵上に遷座という。

調布市入間町2-19-13 <地図

10/8 13時 大祭

社殿

糟嶺神社
境内社

天満宮・稲荷社・稲荷社
天満宮は風土記稿にも残る。

厳島神社
氏子地区(旧称) 
・金子
主祭神
・市杵島比当ス
相殿神
・稲荷社(M43合祀)
メモ
・国領神社兼務
・旧社格/村社
創建年代は不詳。
当地の土着した古代人が農耕や飲料に適した池畔に弁天を祀った事に始まると伝わる。

調布市西つつじヶ丘1-15-8 <地図

10月第2日曜日 10時 山車・神輿・太鼓渡御
10/11     10時 例大祭


田中稲荷神社
氏子地区(旧称) 
主祭神
・倉稲魂命
メモ
・国領神社兼務
新井一族の氏神という。社殿は明治26年造営。上屋覆殿を平成10年に造営。

若葉町3-12-6 <地図

2月初午


青渭神社
氏子地区(旧称) 
・深大寺総鎮守
主祭神
・青渭大神
メモ
・本務社
・旧社格/郷社
・延喜式内論社
創立は不詳。現在は深大寺の寺域に鎮座。
豊富な湧き水があり水神を祀ったものとされる。
境内には樹齡数百年(約600年)をほこる市内随一のケヤキの大木がある。
深大寺地区の総鎮守。

深大寺元町5--17-10 <地図

(以前の祭礼日)10/18 → 10/1 
→ 10月第3土曜 15時 宵宮祭/みたまうつし
→ 10月第3土曜 19時 神輿巡行
→ 10月第3日曜 10時 大祭式
→ 10月第3日曜 14時 太鼓・神輿巡行


諏訪神社
氏子地区(旧称) 
・深大寺野ヶ谷
主祭神
・建御名方命
相殿神
・倉稲魂命
・御嶽社(大己貴命/M43合祀)
メモ
・青渭神社兼務
・旧社格/無格社
境内の東側は諏訪久保という谷であったという。
創建年代は不明だが、水にまつわる神様を祭ったことにはじまると推測。

明治43年に御嶽社と稲荷社を合祀。
昭和初年に五丁山の旧稲荷社祀り手の中で、
同時に合祀された武州御嶽神社の眷属狼の折り合いが悪く、
それが原因で体調がすぐれないと申し出る者がおり、
合祀稲荷はそのままに五丁山の人々は自分たちで再び稲荷社を祭りだしたという。
(五丁山稲荷参照)

深大寺東町8-1-3 <地図

(以前の祭礼日)10/1 → 10月第1土日? → 9月最終土日?


稲荷神社
氏子地区(旧称) 
・深大寺又住
主祭神
・倉稲魂命
相殿神
・御嶽社
メモ
・青渭神社兼務
創建年代不詳。

深大寺元町2-3-14 <地図

(以前の祭礼日)9/25 → 9/15? → 9月第2土日?

境内社

御嶽社。伝承不詳。

神明神社
氏子地区(旧称) 
・深大寺宿
主祭神
・天照皇大神
相殿神
・倉稲魂命(M41合祀)
メモ
・青渭神社兼務
創建年代不詳。

深大寺元町5-32-2 <地図

(以前の祭礼日)10/1? → 9月最終土日?

境内社

宿分稲荷社を明治40年代に合祀。

池ノ上神社
氏子地区(旧称) 
・深大寺絵堂
主祭神
・池ノ上大神
相殿神
・倉稲魂命(M40合祀)
メモ
・青渭神社兼務
社殿は東に池の谷、西に深大寺境内を湧水源とする
谷戸田(昭和30年代までは水田地域)に挟まれた台地上に鎮座。
池ノ上神社本殿の左側には村内の武州御嶽社、右側には稲荷社を末社として祀っている。

深大寺南町4-2-9 <地図

((以前の祭礼日)10/1 → 9月最終土日?

境内社

稲荷社
稲荷社は明治40年に絵堂村内の
「里の稲荷」「阿弥陀稲荷」と合祀のうえ
池ノ上神社の境内末社となる。
境内社

御嶽社
武州御嶽社は元村内の小祠。
今も武州御嶽講は継続しているという。
 

稲荷神社(柴崎稲荷神社)
氏子地区(旧称) 
・柴崎
主祭神
・倉稲魂命
相殿神
・大山咋命
・菅原大神
メモ
・青渭神社兼務
・旧社格/村社
創建年代は不詳。
小田原北条氏のころに境内地・畑山村などが一町歩寄進されたと伝承される。

柴崎2-11-4 <地図

(以前の祭礼日)10/14-15 
→ 10月第2土曜 18時 夜宮
→ 10月第2日曜 13時 太鼓・神輿・山車巡行

境内社

三峰社・田島稲荷・疱瘡神社

八剱神社(八剣神社)
氏子地区(旧称) 
・大町
主祭神
・開村祖先八神霊
相殿神
・素盞嗚尊
・伊奈半左衛門神霊
メモ
・青渭神社兼務
創立年代は不詳。素戔嗚尊は創建時の御祭神とされる。
開村祖先の神霊八座は、鎌倉幕府家臣が建武年間に当地方に在住し開村し
八名の佩刀を神宝として産土神に奉祀し、よって「八剣神社」と称したと伝わっている。
相殿の伊奈半左衛門は文政年間に村人が飢饉によって困窮した際に時の代官。
半左衛門は辛苦を憐れみ金弐百両程度を村に助成したという。

菊野台3-42-1 <地図

(以前の祭礼日)10/8-9 
→ 10月第2土曜 宵宮
→ 10月第2日曜 13時 大祭

境内社

御嶽社
境内社

不詳祠 伊奈半左衛門神霊祠?
八剣神社の本殿にも配祀されているが、
村人は不詳祠を伊奈神霊祠としている。

虎狛神社
氏子地区(旧称) 
・佐須
主祭神
・大歳御祖神
相殿神
・倉稲魂命(M43合祀)
・天照皇大神(M33合祀)
・菅原大神(M33合祀)
メモ
・旧社格/郷社
・延喜式内論社
神社の創建は崇峻天皇2年(589)とされる。
狛江郷(狛江・調布)のなかでも最も早くからひらかれたところといわれ、
当社はここに住居を定めた渡来系高麗人の集落神として祀られたものと推定。

佐須町1-14-3 <地図

(以前の祭礼日)10/12-13
→ 10月第1日曜日 大祭


八幡神社(仙川八幡神社)
氏子地区(旧称) 
・下仙川
・北野
主祭神
・応神天皇
相殿神
・厳島神社
・代官田神社
 (第六天/T6年合祀)
メモ
・旧社格/村社
創建年代は不詳。
大正6年に境外社・代官田神社(大六天神社)・厳嶋社を合祀。

緑ヶ丘2-5-5 <地図

(以前の祭礼日)9/27-28 → 9/14-15?


境内社・稲荷社 弁財天社(厳島社)

境内・富士講碑



調布市内の神社庁所管外神社
富士浅間神社
氏子地区(旧称) 
・深大寺山野
主祭神
・木花咲耶姫命
メモ
・青渭神社兼務
創建年代不詳。

深大寺北町1-38-3 <地図

10/1? → 9月最終土日?


白山神社
氏子地区(旧称) 
・上布田
・南山谷
主祭神
・白山比当ス
相殿神
・天王社
・御嶽社(S47合祀)
メモ
創建の由来由緒は不詳。現在は布田南部自治連合会域の鎮守社。
境内末社の天王社と御嶽社は本殿に合祀されている。

布田5-32 <地図





調布市内の小祠

*掲載は個人宅限定は除き半公共的に参拝できるものを中心としております。

近藤神社
昭和18年に調布飛行場拡張のために取りこわされるまで使用されていた井戸を
「近藤勇産湯の井戸」名残として残している。
近藤神社は昭和初期に生家跡に建立。
昭和52年に生家跡が調布市史跡に指定されたのを受けて再整備。
西町6

自在力弁財天祠
遊郭の娼妓が蛇にうなされて没したのを哀れんだ遊郭楼主菱川氏が大正11年に勧請。
布田1-20付近。

地守神社(白山社)
社の周囲の杉本3軒・斉藤2軒で共同祭祀。
小島町2-3付近。

金山彦神社
江戸時代初期より鍛冶屋を生業していた集団が祀る祠。
下石原1-41付近。

羽毛下橋の弁天様
上ヶ給。 祠の下に湧き水があったと伝承。
国領町7-13付近。

杉崎稲荷の疱瘡神
杉崎稲荷社の脇に赤くぬられた小祠。
国領町4-22付近。

三峰社
杉崎家の敷地に祀られる。上ヶ給の三峰講の祠。
国領町4-28付近。

弁財天祠
天台宗西光寺境内の祠。
上石原1-28-3。

吉祥天祠
天台宗深大寺境内祠。風土記稿にも記載される祠。
深大寺元町5-15付近。深大寺境内。

亀島弁天祠
深大寺境内の池の東側の小島に祀られる。深大寺開創縁起にかかわる弁財天。
深大寺元町5-15付近。深大寺境内。

大黒天祠
深大寺境内の池の西側の小島に祀られる。
深大寺元町5-15付近。深大寺境内。

福徳尊
大黒天と恵比寿尊。深沙大王堂参道の脇。
深大寺元町5-15付近。深大寺境内。

白山権現祠
深大寺境内祠。風土記稿にも記載される。
深大寺元町5-15付近。深大寺境内。

深大寺不動堂境内祠
深大寺東側に鎮座している不動堂境内社。詳細は不明。
深大寺元町5-15付近。深大寺境内。

深沙大王祠(深沙大王堂)
天台宗深大寺境内祠。風土記稿にも記載される。深大寺開創縁起の祠。
深大寺の西端域に建つ境内社で水神を祀る鎮守社であったが神仏分離に際して破却。
昭和43年に大王堂として再建。
深大寺元町5-15付近。深大寺境内。

ハケ下の弁財天様
かつては湧き水があったが涸れている。
文政12年の石祠。
西つつじケ丘4-15付近。金子。

滝坂皇大神宮
清水家の神明社。
寛永年間に勧請という。
若葉町1-31.入間。




調布市内の稲荷小祠

*掲載は個人宅限定は除き半公共的に参拝できるものを中心としております。

桜稲荷
上布田地区の妓楼増田屋が本来の持ち主。
昔から上布田下宿の地付きがあつまりビシャ講を行う。
布田1-45付近。

青徳稲荷
下布田地区の日橋屋敷地に祀る。
当初は6軒の講中であったが近年は20軒ほどとなっている。
稲荷名は講中の家が日蓮宗蓮慶寺の檀家ゆえに由来。
布田2-44付近。

稲荷社
詳細不明
下石原1-9付近。

山口稲荷
山口イッケ7軒を中心に下布田西山谷地付きの16軒を講中に祀る。
布田3-30付近。

赤稲荷(チマタ稲荷)
上ヶ給地区の家、7-8軒で祀る。
国領町5-37付近。

杉崎稲荷
上ヶ給地区の杉崎イッケ8-9軒で祀る。
国領町4-22付近。

十万石稲荷(小山稲荷)
下布田北浦地区の小山イッケで祀る。
近くに十万石大名の蔵があったことに伝承される。
国領町4-12付近。

清稲荷
入間の山野組一帯に居住する清水イッケ三二軒で祀る。
入間町3-18付近。

鈴木稲荷
鈴木家5軒のイッケで祀る。
入間町1-22付近。

稲荷社
詳細不明
入間町1-31付近。

矢ヶ崎稲荷
現在は國領神社の境外末社。
風土記稿では「村持鎮守」 矢ヶ崎自治会にて初午を行う。
国領町7-53付近。

昇福稲荷
大正14年勧請。国領駅周辺の地主神。毎年2月に初午祭あり。
国領町2-5付近。

土方稲荷
上ヶ給地区の土方家で祀る。
国領町7-3付近。

谷戸稲荷
もと、当地の名主谷戸家で祀っていた。
谷戸家が明治初年に移住後はその地に移り住んだ橋本・内田・玉置の三軒で維持。
付近30軒で初午行事を行いビシャ講を営む。
国領町1-19付近。

樫の木稲荷
晃華学園の南方。佐須地区の稲荷社。天保12年に記録が残る。
明治期に虎狛神社に合祀されたが、昭和17年に旧地に再祀された。
佐須町5-28付近。

石井稲荷
金子の石井イッケ12軒で祀る。 初午神事あり。
西つつじケ丘3-19付近。

五丁山稲荷
五丁山に居住していた粕谷氏・鈴木氏・内野氏・中山氏10軒ほどで祀っていた。
鎮守諏訪神社に明治43年に合祀。。
昭和初年に五丁山の旧稲荷社祀り手の中で、
同時に合祀された武州御嶽神社の眷属狼の折り合いが悪く、
それが原因で体調がすぐれないと申し出る者がおり、
合祀稲荷はそのままに五丁山の人々は自分たちで再び稲荷社を祭りだしたという。
深大寺1-16付近。

八反田稲荷神社(金子稲荷神社)
金子厳島神社に一時期合祀されていた稲荷社。
初午神事はなく、旧地に戻った9/11を神事だけの例祭としている。
西つつじケ丘4-9-3鎮座。






調布市内の小祠碑
駒形大明神
正面に「駒形大明神 馬頭観世音」と刻銘。
嘉永5年に上石原と飛田給の馬所有者が再造立した銘文あり。
富士見町1-20付近。

堅牢地神
西光寺門前に立つ。 正面に「堅牢地神」嘉永五年造立。 伝承不明。
上石原1-28-3。

秋葉様の常夜灯
旧甲州街道沿いに建つ。 台座に秋葉社・榛名社を刻銘。 文久3年造立。
飛田給1-53付近。

荒井家の牛頭天王
昭和4年に荷役用の牛が死んだので昭和9年に飼い主が供養のために石塔を造立。
国領町6-17付近。




調布七福神
調布七福神・恵比寿
真言宗大正寺。
調布ヶ丘1-22-1。

調布七福神・布袋尊
天台宗常性寺。
国領町1-2-8。

調布七福神・大黒天
天台宗西光寺。
上石原1-28-3。

調布七福神・弁財天
天台宗明照院。
入間町2-19-12。

調布七福神・福禄寿
天台宗祇園寺。
佐須町2-18。

調布七福神・毘沙門天
天台宗深大寺。
深大寺元町5-15。

調布七福神・寿老人
天台宗昌翁寺。
仙川3-7-1。




調布の神社を調べる上のでの参考文献

「東京都神社名鑑 下巻」昭和61年 東京都神社庁
「北多摩神社誌」 昭和51年発行 北多摩神道青年会むらさき会
「調布のまつり ふるさとまつりの調査と提言」 1992発行 社団法人調布青年会議所
「調布市史」民俗編 昭和63年 調布市
「調布市百年史」 昭和43年 調布市
「調布の文化財案内」歴史のおくりもの 平成5年 調布市教育委員会

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