「かみちゅ!」探訪参詣記〜尾道の神社紀行〜<平成18年1月旅行・4月掲載>
その1・尾道の海 「はじめに」「尾道へ」「海岸から商店街へ」「住吉神社」
その2・艮神社 「吉備津彦神社」「艮神社」
その3・御袖天満宮 「御袖天満へ」「御袖天満宮」
その4・千光寺山 「千光寺」
その5・尾道古社散歩 「久保八幡神社」「八坂神社」「ゆりえ様宅?事故現場?」「山脇神社」「蘇和稲荷神社」「尾道駅北側」
その6・小学校と尾道海峡
その7・渡船と尾道向島
その8・向島「男たちの大和」ロケセットと向島の神社 「大和ロケセット」「向島東富浜ノ厳島神社」「向島ノ亀森八幡神社」「向島ノ岩屋荒神社」「かみちゅ!」
大和ロケセット
「男たちの大和」という映画のために作られたロケセットは平成18年5月まで限定公開されている。
何が面白いかわからないし、たいそうなものでもないが、せっかくだから足を運ぶ。
ちなみに午前中は比較的のんびりと見物できたが、向島をぐるりとして午後に戻ってみれば、車が大渋滞して大混雑大盛況だった。
結構、この手のものが好きな人が多いらしい。
入口から公開場所まではバスにゆられる。
会場に着けば、・・・大和のはりぼてがある。
私は海軍史を大学で専攻したという特殊な人間。もちろん大和に関しては相当な知識を有している。もっとも難しいことは抜きとして、ぼーっとながめることにする。
えっ。
大和がなにか「かみちゅ!」に関係するのか?と見たことのない人は思うかもしれない。
かみちゅ!作中では、鹿児島沖に沈む大和からその船魂を呉に返してあげるという、神さまながらなストーリーがある。その話題を狙っていたのか否かは不明だが、奇しくも尾道では大和のロケセットがあり、そして尾道アニメでも大和が描かれるという、そのタイミングすらも、いわば神がかっていた。
大和ロケセット・菊の御紋 |
大和ロケセット・第二主砲 |
大和ロケセット・船首 艦橋がないので落ち着かない・・・ |
大和ロケセット・第二主砲 |
結構、こだわっている96式25ミリ3連装機銃 |
副砲付近 |
副砲付近 |
第一主砲は・・・ない。うしろは第二主砲 |
やはり艦橋がないと様にならない |
全体像 |
かみちゅ!より 大和さん正面 |
かみちゅ! 大和さん後方 |
かみちゅ!より 大和さん全体像 |
かみちゅ!より 大和さんの艦内には「ラムネ」あります |
大和ロケセットにも「大和ラムネ」がありました。
大和さんを背景に風の強い1月に外で撮影する阿呆が一人
それでもラムネを「デジタル一眼レフ」を三脚に固定して撮影しているから
かなりあやしい「カメラマン」になる
すくなくとも「かみちゅ!」ヲタにはみえない?
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♪ソーダ味のアイスキャンディー
♪ギラギラなおひさまの下、半分こ〜
・・・
ラムネ味のソフトクリームならありました。
ギラギラに照っているけど真冬の太陽の下で食べました。
寒かったですが。 |
会場と入口は「尾道市営バス」が無料送迎。
あれ、みこちゃんが降りてこない・・・なにも「大和さん」で撮らなくても |
かみちゅ!より みこちゃんが降りてきますた
聞くところによると尾道市営バスはバスマニア的にレアバスらしい。
でも私はバスは門外漢・・・ |
ちなみに尾道の次の日に呉に行ってます。
〜大和ミュージアムの10分の1スケール大和さん〜 |
10分の1スケールでもその迫力は伝わってきますね
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艦橋部分 |
後方部 |
上から |
尾道のあとに福山にいって、その足で呉へ。
次の日に呉を散策して帰宅したのだが、
かみちゅ!関連としては福山で話を終えようかと思う。
ただ「大和さん」だけは別にここでも掲載をしておく |
9時過ぎに大和ロケセットの見学を開始して、約2時間滞在。何もないわりには長居した。
その足で、自転車をこぎ出して向島の神社を詣でてみる。
時間は11時過ぎ。
「向島東富浜ノ厳島神社」(尾道市向島鎮座・東富浜・明神島)
日立向島ドッグ(大和ロケセット場)のすぐ南側に鎮座。向島と隣の岩子島とそれぞれに厳島神社があるが、こちらは「向島明神島の厳島神社」。富浜塩田の守護神でもある。
境内には「富島浄友の墓」がある。別名を「天満屋浄友」
天満屋浄友は浅野候とともに紀州から芸州に移り、魚問屋・酒造業で産をなした。藩に乞うて塩田を築調。当社「厳島神社」を建立したのは浄友の子である柳生の頃であるという。浄友は広島の私邸で没し行年67歳という。元禄頃より向島が発展したのは天満屋浄友のおかげであるとされる(境内案内板参考)
元禄期に向島西村津部田に最後の塩田が完成し、村内が豊かになった時に各地域に金比羅講が作られたという。その際に交通の要衝等に常夜燈が建立された。
東富浜(明神島)厳島神社前の常夜燈は明治12年金刀比羅宮の刻銘あり。
向島は往古、7つの島より成立する湿地の多い群島であったという。当社・厳島神社の鎮座する地も明神島と呼称。塩田が開発されるまでは島であったという。(境内案内板参考)
東富浜の厳島神社 |
東富浜の厳島神社 |
東富浜の厳島神社本殿 |
東富浜の厳島神社本殿と浄友の墓 |
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左:常夜燈 |
ドッグのすぐ南側。福本渡船から南に500Mといったところ。
自転車をこぎ出せばすぐに発見。立ち寄ってみる。このあたりの瀬戸内はもちろん厳島神社だらけ。向島でも岩子島の神社が有名なわけではあるが、さすがに今回はそこまで行く気は起きなかった。
7つの島があわさった、とされるだけあり、低湿地の気配を感じる。ポツポツととびでた高台が、それぞれ島の中心だったのかもしれない。この神社の後方も高台だった。
本殿の脇に、神社ゆかりの地元功労者の墓があったりして、そんな気配すらも、のんびりとしていて好感触。
「向島ノ亀森八幡神社」(県社・西八幡神社・備後国総社八幡・西宮八幡・尾道市向島鎮座) 朱印
祭神
品多別尊(ほんだわけのみこと・応神天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)
宗像三女神(多伎里姫命・多伎都姫命・市伎島姫命)
宝亀元年(770)山陽巡察使の藤原百川が豊前国の宇佐神宮より勧請とも栗原村(尾道市)より勧請したとされる。
元暦年間(1184−1185)には木曽義仲の子である木曽義重が大夫坊覚明とともに島内の川尻(島内の覚明神社には覚明・義仲・義重を祀る・レポは別途記載)に落ち延びている。
因島村上氏が向島に進出した際に尾道水道に挑む北の岡島に「小歌島城」を築き制海権を確保。村上吉満が永禄元年(1558)に当社を再興した棟札が残る。
明治社格では昭和二年六月四日に県社列格。
上述の厳島神社から西に500メートル。島内を東西に抜ける道路はしまなみ海道から「大和ロケ現場」にむかう車で渋滞している雰囲気。結構、混み合っている道路だ。
神社の規模は大きい。かなり堂々たる気配を振りまいている。境内には歴史を物語る案内が無く、そんな状態だと私は参拝していてもどうしても身が入らない。私のスタンスは「歴史を感じる」ことにあるので、その具体的な由緒が伝わってこないと、あとは「感覚」で参拝するしかない。
それでも感覚で参拝するのも、余計な雑念を抱かずに無に参拝できるから、良いものではあるのだが。いろいろと矛盾する私のようだ。
さて、尾道大橋に向けて自転車をこぎ出す。自転車で尾道大橋を走り抜けようかと思っていたから。
かみちゅ!のゆりえ様さながらに。
しかし、結論からいえば「大橋」を渡ることは不可能でった。
途中で、奇怪な空間に魅了されてしまったから。
尾道大橋に向かって西に自転車を漕いでいたら、左手の山が気になってしまう。なにやら大きな岩がある。小さな建立物がある。どうみても「磐倉」の気配を漂わせていたので、なんか登りたくなってきた。
「岩屋荒神社」(薬師如来堂・尾道市向島向東町)
由緒由来等は不明。山の上の小さな社殿に「岩屋荒神社」と記載されていたことだけが文字的な資料であった。しかし山内には多くの石の彫られた観音様や仏様がおり、山頂近くには強大な岩が集中し、そこに祠があった。
神仏習合・山岳信仰を濃縮し、人知れずそこに存在する神社は、安易な気持ちで立ち寄るのを拒むかのような厳しさがあった。
私も最初は軽い気持ちで寄ろうとしていたのが、引くに引かれずで山を登り、肩で息しながら一脚を杖にして、やっとこさで到着した。
なにか格別なものがあるわけではなかった。
ただ、存在感がある磐倉を中心に、静かに向島の高台に鎮座している、その有り難い気配・空間に圧倒される。
信仰するものだけが、存在を知っているものだけが、近づけばよい。
そんな崇高な空間だった。
入口 |
山に埋もれる鳥居 |
登山道も巨岩だらけ |
山を登れば・・・しまなみ街道が |
小さな祠も多い |
山頂付近の拝殿 |
岩屋荒神社 |
岩裏には仏様が刻まれていました |
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左;
ちなみにこんな山です。
巨石の磐倉が下からでも見えます。
この岩にひかれて登ったのだ |
奇しくも、なにも予備知識無く「向島で磐倉を擁する神社」に足を運んだ私。
すでに体力は消耗しきっており、このまま尾道大橋を渡る気力は残っていなかった。しかしえもいわれぬ滿足感に包まれて山を降り、再び尾道水道を行ったり来たりする私であった。
尾道をあとにしたのが午後2時。確実にまた来ることを確信していた私は尾道の海から離れる。
この日は「呉」に宿を確保していた。
しかし私は逆方向の「福山」に向かう。
tこの尾道行き(平成18年1月上旬)の直前に発売されたDVDは「第5巻」。次の第6巻収録11話の次回予告で「福山」らしい映像があることを確認した私は、その駅前に行く使命があったのだ。
(DVD6巻収録の第11話はその大半が「福山」を舞台としていた)
そんなわけで福山。
福山駅前。「五浦釣人像」(ごほちょうじん)
山陽新幹線開通と福山駅舎寛完成を記念して
平櫛田中(近代の彫刻家)によって建立。
師であった岡倉天心の釣り姿、という。 |
福山駅前。「五浦釣人像」前の
一橋章吉君(ゆりえ様の弟)と三枝みこちゃん(祀ちゃんの妹)
尾道の二人が・・・福山で、かけ落ち?! |
次回予告の場所を堪能したら、呉に戻ろうかと思っていた。
しかし駅前のバス停を眺めていたら「鞆の浦行き」バスが目につく。そこだけ古めかしい空気が嬉しくなって、よくよく確認すると「鞆鉄道株式会社」。
ここで鉄道趣味の血が騒いでしまった。
鞆鉄道の基礎知識は有していなかったのだが、私は「神社趣味者」。鞆の浦の神社は頭に浮かんでくる。
そうだ「鞆の浦」の「沼名前神社」にいってみよう!
幸いなことにバスは15分間隔で運行されている。非常に乗りやすいバス。往復でどのくらい時間がかかるかわからないが、私はバスに乗り込んで「鞆の浦」を目指す。
まったく予定になかった行動がはじまり、「かみちゅ!」舞台訪問は、そのまま「神さま詣で」にスライドするのであった。
本日は平成18年4月30日
実は5月3日から6日まで福山・尾道に行きます。
3−4は福山泊。5日は尾道泊です。・・・つまり章吉君・・・いやみこちゃんと駆け落ちした気分で福山にいけるわけです。
そんなわけで次回作も乞うご期待。
神社レポは・・・どうなるのかな??
かみちゅ!
「わたし、神さまになっちゃった」
そうつぶやく、ヒロインは、ちょっと地味な少女だった。
神さまで中学生。
普通の中学生が、普通に恋愛をする、青春のひとこま。
1980年代。甘酸っぱい青春を送る少女達の物語。神さまの物語。
どこか懐かしい、ゆるやかな時間が流れる瀬戸内の町。尾道。
あっちこっちの坂を登って、降りて、駆け抜けて。
あっちこっちの路地を巡って、探して、歩き続けて。
か〜み〜ちゅ〜!
この一言で、救われる人たちがいた。
この一言で、救われる神さまたちがいた。
ちょっとドジだけど、それでも一生懸命に「がんばる」少女
一橋ゆりえちゃん
一橋ゆりえ様
彼女の一風変わった世界がはじまる。
尾道の街を取り込む「ゆりえ様」の旋風。
尾道に溶け込む「ゆりえ様」の神力。
特別な力を手に入れた彼女、神さまであっても中学生。神さまで中学生。
神さまであっても、ひたむきに頑張る普通の中学生。
友人たちと繰り広げる、神さまらしくて神さまらしくない、ほほえましい日常。
勉強に、人助けに、そして恋に。
なつかしくて、楽しくて、甘酸っぱい青春の物語。
ゆるやかなかわいらしさ漂わせる少女たち。
一生懸命なあたたかさに包まれる「かみさまコメディアニメ」
それが
かみちゅ!
なのです
当サイトを、神社趣味で御覧になられている皆様。是非一度、御覧下さい。
管理人一押しの作品です。
かみちゅ!公式サイト
ベサメムーチョ/アニプレックス
特集ページ
「かみちゅ! 舞台探訪記」へ
作中のキャプチャー写真は、尾道の気配を楽しんでいただくために使用致しました。
問題がありましたら、対応しますのでメールにてお問い合せ下さい。
なお版権を侵害する悪意ある意図では使用はしておりません。ご理解下さい。
ベサメムーチョ/アニプレックス・「かみちゅ!」
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